ダザイの自慰
『走れメロス』や『人間失格』などの作品で知られる作家、太宰治。
彼が初期に発表した小説、『思い出』の中に 主人公の「私」の、このような記述がある。
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母に対しても私は親しめなかった。
ある夜、かたわらに寝ていた母が私の蒲団の動くのを不審がって、なにをしているのか、と私に尋ねた。
私はひどく当惑して、腰が痛いからあんまやってるのだ、と返事した。
母は、そんなら揉んだらいい、たたいてばかりいたって、と眠そうに言った。私は黙ってしばらく腰をなでさすった。
○
要するにオナニーしてる所を、母親に見咎められたわけだな。
年齢はハッキリわからないけど、もう思春期に入ってからだろうな。
その後も同作中に この行為は「あのあんま」と言う呼び方で出てくる。
「私」はすごい豪華な家の生まれだったから、「小間使い」なんて言う身の回りの雑用をする女性がいたんだよな。
そんな小間使いの少女「みよ」に心ひかれてからは、こんな記述がある。
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私はその夜、みよと結婚するについて、必ずさけられない うちの人たちとの論争を思い、寒いほどの勇気を得た。
どうしても寝つかれないので、あのあんまをした。みよの事をすっかり頭から抜いてした。
みよをよごす気にはなれなかったのである。
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なるほど、好きになった女の子をオナニーの快感を高める素材には使えなかったわけですな。
もっとも、この少女みよはあとで、家で雇っていた「下男」に犯されて家から出ていってしまうんだけど。
同作中には、このオナニーを、
「下男がふたりかかって私にそれを教えた」なんて書いてるんだ。
ここで話は太宰治の代表作『人間失格』に変わる。
主人公「自分」が こんな事を言ってるんだ。
「自分」もやはり豪華な家の育ちで、下男や下女がたくさん雇われてたんだわ。
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自分は、いわゆるお茶目に見られることに成功しました。
けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、およそ対蹠的(たいしょてき)なものでした。
そのころ、すでに自分は、女中や下男から、哀しいことを教えられ、犯されていました。
幼少の者に対して、そのようなことを行うのは、人間の行ない得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。
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太宰治が幼時をおくった大正時代にも、いわゆるロリコンショタコンはいたんですなぁ。
ここで、遠い昔のオナニーへの見方を1937年に出された『婦人家庭百科辞典』から見てみよう。
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しゅいん(手淫)
自ら行う不自然な性欲の満足をいう。すでに思春期に達し、性的欲望が熾烈(しれつ)を極め、しかも異性によってその欲望を満足できない場合に、意志の弱い青年男女によって行われるものである。
手淫はたいてい思春期に始まるもので、この常習者は多くは顔面蒼白となり、学業の成績低下し、かつ精神は不安となり、沈みがちとなるものである。
父母はこの悪癖に陥っていることを知った場合には、ねんごろに訓戒を与えると共に、規律的生活・運動等を奨励し、適切な性教を施すようにせねばならない。
○
要するにオナニーは害であり、やめさせなければならないってことだね。
オナニーに害はない、なんて今は逆の立場になってるけどね。
第一回芥川賞の候補になった太宰治の作品『逆行』の中に、「少年」が村にやってきた曲馬団(サーカスのたぐいですな)の公演を見に行った『くろんぼ(原文の表記)』って話がある。
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むちの音におびやかされつつ、くろんぼは のろくさと二つ三つの芸をした。それは卑猥(ひわい)の芸であった。
くろんぼのからだには、青い藺(い)の腰蓑(こしみの)がひとつ、つけられていた。油を塗りこくってあるらしく、すみずみまでつよく光っていた。
その夜、くろんぼを思い、少年はみずからを汚した。
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今で言うストリップショーかな。遠い昔には手淫を戒める一方で、幼い少年にこんな性との出会いもあったわけですな。
20fe2019
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