【昔の日本】かつてほとんどの村で行われてた若衆への愛のレッスン
「性民俗」を発掘した異端の民俗学者・赤松啓介は、いまから20年前に『夜這いの民俗学』刊行し、学会の内外問わず驚きを与えた。
だが、夜這い以外にもムラで行なわれていた奔放で多様な性民俗を赤松は隅々まで記録した。詳細な調査に基づくかつての日本の性の風習を紹介する。
昔はほとんどのムラで若衆入りした男子の筆下ろしを行ない、性の技能を教えた。“先生”は、後家、嬶、娘、尼僧、酌婦などだった。
「日の出」と呼ばれた新入りの若衆は夕刻、女たちと共に仏堂に集められる。
堂を閉め真っ暗になった堂内に蝋燭の炎だけがゆらゆら煌めくなか、クジやじゃんけんなどでペアが決まる。般若心経を二回唱え、西国三十三番礼所の御詠歌を合唱してから布団を敷き、いざ“本番”が始まる。
<入ると女が男を抱きよせてやる。オバハンとこ、柿の木ありまっか。あるぜ。この間に女は帯をといて半身を裸になる。よう実がなりまっか。よう、なるぜ。サア、見てんか。いうてもなかなか手を出さないそうだ。
そこで男の手をひっぱってお乳をにぎらせたり、さすらせたり、吸わせたり、女は教育に忙しい。(略)男はわしが上がってちぎってもええか。サア、はよ上がってちぎってと、チンポをにぎって上がらせ、内へ入れさせる>
儀式的なやり取りをすることで、間近で顔も見たことのない男女が裸で抱き合うことの抵抗感がなくなる。
この有名な「柿の木問答」は、九州から東北までほとんどの地方で行なわれるが、有馬、武庫郡から丹波地方では、女が頭の先から目、口、乳房と体の部位を触らせながら初心な若衆に愛のレッスンを施す。
<ここは、オチチ、このあたりからハダカになり、お乳をさわらせたり、すわせる。若衆はもうふらふらになって、ここは、まだ早い、と叱られて、ここはオヘソ、ここは、もっと上や。ここはオサネ。ここは、フフン、フフ、フフ。馬なら乗らして、と腹の上へのぼる。うちはあばれ馬やから、ようかきついとらんとハネとばすよ、と脅かされる>
筆下ろしの夜が明けると、若衆たちは並んで“先生”に礼を言って解散する。帰宅すると母親の準備した朝食を平らげ、昼すぎまで眠った。
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