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縄文時代の性生活は主に昼間おこなわれていた

     
縄文人は狩りや漁を効率よく行うため、また木の実などの採集をスムーズに行うためにさまざまな石器を作り生活を豊かにしていました。
美しい模様が刻まれた火焔型土器を作るなど、縄文時代には現代人が驚くほど進んだ技術力が存在していました。
そんな縄文人たちは性生活、特にセックステクニックの習得にも貪欲でした。
     
子孫を増やすためのセックスとはいえ、縄文時代を生きる人々にとってセックスは毎日の恒例行事のようなものですから、そこに自然と「セックスを楽しむ気持ち」が生まれてもおかしくありません。
むしろ「どのようにすればもっと気持ちよくなれるのか?」という素朴な疑問への答えを日々探っていたのではないかと推測できます。
     
縄文時代の性生活は主に昼間おこなわれていた
     
現代人は本当の真っ暗闇を知りません。
夜中でも電灯の光が地面を照らし、昼も夜も完全に暗闇に閉ざされることはほぼありません。
しかし縄文時代にはもちろん電気などありません。
昼は明るい太陽に照らされていても、夜はただ闇が広がるばかりです。
     
獰猛な動物も数多く生息している中での性生活は、命の危険をともないます。
そのため、縄文時代に生きる人々は昼間に性生活を行っていたと想定されています。
昼間で周囲の状況がわかる状態であれば、仮に獣に襲われても即座に対処することができるからです。
     
縄文人に羞恥心はなかった?
     
他人に見られて恥ずかしいと思う気持ちを「羞恥心」といいます。
縄文時代を生きる人々の中に羞恥心がなかったわけではないでしょう。
ただ、性生活を昼間におこなうことに対して、羞恥心を持っていたかどうかは疑問です。
     
縄文時代を生きる人々にとって性生活は、この先も「縄文人」という種族が生き残っていくために必要不可欠な手段であるからです。
「自分がセックスしているところを他人に見られて恥ずかしい」と言っている場合ではありません。
また羞恥心よりも他人の性生活を観察して真似ることによって、セックスの技術を向上させていたとも考えられます。
     
縄文時代は野外プレイが当たり前
     
縄文時代を生きた人々が主に昼間に性生活を持っていたのだとしたら、野外プレイは当然の流れとして理解できます。
現代人の感覚で考えれば、屋外でプレイするなんてとんでもないと思うでしょう。
しかしよく考えてみてください、縄文時代に存在した限られた居住スペースの中で、安全に性生活をおこなうことは非常に困難であったと言わざるを得ません。
     
周囲に生息する動物たちの存在もありますから、外の状況がわからない屋内で性生活を営むことは非常に危険なことであったと言うこともできるでしょう。
むしろ周囲がよく見渡せる木の影や森の中で立ちながらセックスをしていたと考える方が自然です。
     
驚愕の性生活!定期的に行われていた乱交パーティー
     
縄文人の血を絶やすまいと、現代よりも確実に「性」そのものや「性生活」に対するハードルが低かったと考えられる縄文時代ですから「セックスしたい」と思ったらその場で即座にセックスがスタートしたということもよくあったと言われています。
     
夜には火を囲んで性欲にあふれた男女がつどい、パートナーの交換をしながら夜な夜な乱交パーティが開かれていたという痕跡も残されているというから驚きです。
現代人の感覚を持ち出すと眉をひそめてしまうような場面ですが、縄文時代に生きる人々の中ではそれが「種を保存するための重要な儀式」として根付いていました。
     
縄文時代にオナニーは存在したのか?
     
縄文時代に生きた男女にとって性生活は欠かせないものでした。
何よりも縄文人の血を絶やさないようにするために必要なものでした。
そんな縄文時代にあって、自分で自分の性欲を満たすためだけに行われる「オナニー」は存在したのでしょうか?
答えは「イエス」です。
     
縄文時代に作られたと思われる、木や石でできた性具が世界各地で発見されています。
女性は男性と本格的な性生活に入る前に、自ら処女膜をやぶることで男性器に血が付着するのを防いだ、つまり獣に襲われる危険を防いだとされる説も存在します。
     
     
     

     



童貞・処女 | 【2023-04-25(Tue) 23:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

縄文時代、人前での性行為に羞恥心はなかった

     
縄文時代の人たちの歴史は
性行為を
生き残るためにしていたと言われている。
     
またこの時代は
避妊をするという
認識がほとんどなく
日常的に縄文時代の
人達は子孫を残すため
性行為を
たくさんしていたと
言われている。
     
もし
子供ができても
出産後にすぐに
亡くなってしまう事も多く
生き残ったとしても
短命だったことから
性行為をし子供をたくさん産み
子孫が途絶えないようにする事に
必死だったというのだ。
     
昔の人達の性生活の歴史は
主に野外で行われていたと
言われている。
     
縄文時代の人達は
現代の様に
電気のような明かりがない。
     
そのため
自分たちが
起こした火を頼りに
夜の生活を
営んでいたというのだ。
     
しかし暗くなると
動物も多くみられるため
安全な環境ではなかった。
     
そうなると自然と
性行為を行うのは
昼間の明るいうちだったと言われている。
     
昔の人達には
現代人のような
性行為においての
羞恥心がなかった。
     
だからこそ
人前で性行為を
するのは
当たり前だったようだ。
     
そして周りの
性行為を
目の当たりにしながら
昔の人達は
自然と性行為を
学習していたという。
     
縄文時代の
平均寿命は
男女共々15歳だと言われている。
     
これは乳児の
死亡率がとても高かった事。
     
そして今の時代と比べ、
医療技術もない時代
だったことから
女性が出産の時に
命を落とす危険性も
あったからだという。
     
縄文時代と言えば
貝塚や土器などを
思い浮かべるだろう。
     
しかし現代のように
機器の普及もしていない時代だ。
     
土器などを作り上げていた
昔の人の性生活とは
どんなものだったのだろうか?
     
避妊などの
知識はないも等しかったが
実は昔の人達は
性行為の技術がとても
長けていたと言われている。
     
現代人の性行為をする
時間はおよそ一時間程度に
満たないと言われている。
     
長い人でも二時間くらいだ。
     
しかし、
昔の人達の性行為に
及ぶ時間はなんと
一晩中だったというのだ!
     
そして縄文時代の男女には
驚きの事実が隠されていた・・・
     
なんと縄文時代の
男性は性行為の時
オーガズムを
コントロールできていのたのだ!
     
縄文時代の人達は
性行為において
とてもタフで
テクニシャン
だったと言われている。
     
昔の人は現代の人達より
ずっと体力があり
一度性行為をし始めると
一晩中性行為ができた。
     
その間
男性はセックスの絶頂を
コントロールでき
女性も自在に
オーガズムを
コントロールできていた事から
一晩中性行為に
打ち込めたという。
     
しかしこれだけではない・・・
     
過去には現代には
考えられない
こんな時代が存在した。
     



その他 | 【2023-04-25(Tue) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

家の神様だから妻を「かみさん」と呼ぶ

     
縄文時代、まえにご紹介しましたが、足形付き土器なるものも発掘されています。
土で幼な子の足形や手形をとって、焼いて土器にしたものです。
これなども、おそらくは(昔は子供はよく死んだので)失った子供を偲んで、その思い出をたいせつにとっておいたものなのであろうと考えられています。
     
そういう、女性や子供をとても大切にした社会が、実は日本では、縄文時代という2万年近く続いた長い長い時代の中で、綿々と育まれてきたわけです。
     
最近では、結婚したカップルのことを「夫婦(ふうふ)」といいますが、これなども、戦後の言葉です。
戦前までは、「めおと」と言いました。
漢字で書いたら「めおと」は「妻夫」です。
妻が先です。
     
男性は、妻のことを「かみさん」と呼びます。
家の神様だからです。
そしてなぜ神様なのかというのは、縄文時代の土偶をみたらわかります。
子を産む力は、女性にしか備わっていないからです。
命を産み出す力は、神様の力です。
     
ところがいまから1400年ほど前に渡来した仏教では、女人五障説などというものがあって、女性は穢れていて精神的向上ができず、成仏も悟りを開くこともできない、などと説かれたりしているそうです。
そうでなく、女性が悟ったときには男性より高みに登れるという宗派もあるのだそうですが。
     
キリスト教では、イブは、アダムの肋骨の一本から生まれたもので、神の戒めを破ってリンゴの実をかじり、エデン追放の原罪をつくり、さらに有名なマルチン・ルターは、「女児は男児より成長が早いが、それは有益な植物より雑草の方が成長が早いのと同じである」という言葉を残しているのだとか。
よく西洋では、レディー・ファーストといって、女性をとても大切にするなどという人がいますが、その哲学の根源になっている宗教観では、明らかに女性蔑視の思想があるように見受けられます。
     
イスラムでは、コーランに、「女は男の所有物である」と書かれているのだそうで、仏教、キリスト教、イスラム教のいずれにおいても、不思議なことに男女は「対立的な存在」として描かれているようです。
     
ところが日本には古来、こうした「対立」という概念がありません。
男女は「対立」するものではなく、「対等」な関係であり、共存し、共に励んで栄える存在です。
     
女性には子を産む力が備わり、男性には体力があります。
女性が安心して子を産み育てることができるよう、外で一生懸命働いて、産屋を建て、食料を生産し、互いに役割分担して共存し協力して、たいせつな子孫を産み育む。
ですから現代日本においてもなお、日本人の家庭にあっては、夫も妻も、互いに相手の尊厳を認め合い、助け合い、支え合う対等な存在と、現実には一般に認識されています。
     
だいたいキミマロ漫談でないけれど、結婚前には「俺は亭主関白になる」などと大見得をきっていた旦那も、頭に白いものが混じるくらいの年代になると、その間に外でした色々な失敗が全部女房にバレていて、次第に頭が上がらなくなり、定年退職して家にいるようになると、多くの場合、出しても誰も持ってってくれない粗大ゴミになる。
世界中どこの国でも同じ態様です。
     
要するに、男女とも、同じ人です。
ただ、性差から来る役割が違う。
互いの違いをきちんとわきまえて、互いにできることを最大限活かし、助け合って生きる。
それが「対等」ということだし、人としてあたりまえのことです。
     
男尊女卑だとか、女尊男卑だとか、あるいはジェンダーフリーだとか、基本的に「対立」がその発想のもとになっています。
けれど、そもそも「対立」と考えること自体が間違っているわけで、たいせつなことは、互いの違いをしっかりとわきまえ、お互いにできることできないことを区別して、互いの良い点を活かしていく。
根っこのところに、そういう「対等」という観念がないから、話がおかしな方向にすすむのだと思います。
     
一万年以上もの昔から、女性にある種の神秘を感じてきた日本人。
男女とも互いに対等であり、互いの違いをきちんと踏まえて、お互いにできる役割をこなしていくことで、共同体としての日々を重ねてきた日本人。
     
日本人の知恵は、この何十年かに外来でけたたましくおこっている女性差別云々などよりも、はるかに深くて温かいものなのではないかと思います。
     
これからの日本は、単に「外国でこう言っているから」という、外来文化をただ無批判に受け入れるだけではなく、日本的文化や価値観を、逆に世界に向けて堂々と発信していくことが必要なのではないかと思います。
これからの時代、ますますそういう姿勢が、日本には求められる。
そのように思います。
     
     

     



その他 | 【2023-04-25(Tue) 20:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

夜這い(=妻問婚)の習慣が地方によっては生きていた

     
土地によっては、古代日本人恐らくは、別民族が支配する「大和朝廷」以前に
別の国があった時代の妻問婚の習俗が民衆間には生き残っていて、
近代以降も他民族の価値観に駆逐されずに地方によっては生きていたという
証明になりますね。
感動です。
     
私も話には聞いていましたが 実際今でも 岡山美作地方ではあります。
美作に引っ越してきて 近所の女性が夜に逃げてこられて近親相姦を求められて
逃げてきたようで 愕然としました。
     
その夜は自宅で預かるようにして 女性の家に連絡に行くと「年なのに 男知らんからわがままなんや」と言われ 返答に困りました。
     
後日 その女性は自殺未遂で入院されました。
今は関西の精神病院に入院しているようですが 警察に言っても相手にされず 公然の秘密のようですが 個人的には同意があっても道徳的には反対ですが(笑い)
     



近親相姦 | 【2023-04-25(Tue) 16:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

担任が全部脱いで、早くしなさいって言うから

     
中3の時、身体測定で男の子のアレを、はじめてこすった。そのとき、保健室だったんだけど、いつもなら上だけ脱いで、下はブルマで女子だけで体重とかをはかることになってたんだけど、なぜか男子もいっしょで、しかも担任に「全部脱いで」って言われて、みんなでえーっ、とか言ってたんだけど、「早くしなさい」って言われて、みんな全裸になった。男子も女子もみんな同じ部屋で全裸だったから、男子はみんな、おちんちんがビンビンになってて、顔真っ赤になってた。そしたら、担任がコンドームを一枚ずつ女子に配りながら、「今から出席番号順に女子は、男子のおちんちんにコンドームをかぶせて、手でこすってあげなさい。少しこすってたら、おちんちんの先から白い液体がでてくるから、そうしたら先生のところに白い液体を入れたままでコンドームを持って来なさい」って言った。男子のほうから「おーっ!」って声があがったけど、私たちはどうしようって感じだった。いよいよ私のところにもコンドームが来て、担任が、「ほら、女子!早くする!」って言ったから、みんなしぶしぶ出席番号の合う男子のところに行った。でも、うちのクラス女子がひとり多かったから、どうするのかなーって思ってたら、担任がパンツ脱いでスタンバッてた。私は、クラスの中で背が小さいほうのKくんに当たったんだけど、やっぱり女子の裸見ててすごい興奮してたらしくて、すぐいっちゃった。担任は、ぶつぶつ言いながら、手で相手の女子の股間をずーっといじってた。ちょっとぐちゃぐちゃ音してたけど。でも、あれだけの男のアレ見て、本当は、すごいぬれててバレないか、ひやひやしてた。家に帰ってすぐオナニーした。Kくんのおちんちんが頭から離れなかった。あとで保健の先生に聞いたら、「文部科学省」の発育調査だからって言われたんだけど、ほんとかなー?
      



先生・生徒・禁断 | 【2023-04-25(Tue) 12:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

混合試合、意識して触ろうと思えばいくらでも触れる

     
男女混合は公式戦はないと思う。
練習とか公式じゃない試合はある。
男女混合で出られる大会は、静岡でやってるやつが結構出場者が多い。
ただ、男女混合リーグなわけじゃなくて、男子のリーグに女子も出られるだけ。
   
週刊現代にポロリ載って、迫力あり。
まぁ水着は実際試合になれば破けることもあるし、ぽろりもたまにある。
    
スイム好き!!っていう選手あんまりみないんだよねw
試合中は結構ずっと行ったり来たりで泳いでるから、立ち泳ぎだけで止まってることってあまりないと思う。
巻き足はすぐできるようになるけど、初心者は、パスとかシュートする時に足元をしっかり使って態勢を保つのが難しい。
    
主に攻撃の要となるのが、ゴール前のフローターというポジションで、そこに上手いタイミングでボールを入れてシュートを決めたりする。
ポジションどりをさせないために、相手チームのディフェンスはがっちりフローターにくっついて押し合う。
このディフェンスのポジションはフローターバックと呼ぶ。
      
女子とは練習試合とかあったけど無意識に胸触ったりしたこともあった。
意識して触ろうと思えばいくらでも触れる。
逆に水着の中に手が入ってくることもあった。これはまれだけど。
1番多いのは肩に胸が当たるのとクロールして追い掛けてる時に太ももからけつあたりを触ることかな。
     
男子は水着が結構長持ちするんだな
女子は水着が試合中に2、3着破れる。
男子で水着が破れた奴はいなかった。

某大では練習試合で負けた方がプールサイトの掃除になると、さすがに水着の中に手を入れてくることは無いけど、女子は男子と違い、加減をしない急所攻撃をやってくる。
男子の場合、女子の胸を掴んだりするけど、どうしても加減しちゃうけど、女子の場合はまったく加減知らず、明らかに狙って攻撃してくる。
      
一年の場合、攻撃の仕方が上手くないので、大体真正面から来て、水着の上から握ろうとするから、こっちも判るので逃げることが出来るんだが、二年三年の場合は背後、後ろから手を股下に回し、握ったり、竿を親指と一指し指や中指でギュと握ったりするから避けよう無い。
しかも上手い女子は水着の上から睾丸のみだけを握ってくるから、これやられると、もう駄目。
男子も公式以外ではサポーターして無いから、ガッツリ睾丸を握られちゃって、結果試合に負けるw
試合後、あいつらにキタネエよ!と言っても、一切取り合わないし、今度はもっと強く握るよ!なんて逆に脅される=逆切れされたりする。
     
一度、試合中に女子の股間にチョップをして恨みを返したが、試合後のプールサイトで、後ろから鷲掴み、長時間されて酷い目にあった・・
男女で試合をする時は、どういう風に攻撃をかわすかで試合の勝ち負けはどうでもいい。
北斗晶みたいなのいるよ
      
後ろからおいかけてくるときに海パン掴んで引っ張ってくる時があるんだけど(もちろんばれたら退水)そのときに脱げちゃうことはあるよ
男子のフローターと女子のフローターバック、もしくはその逆でくんでるときが一番密着してるかなー
背中に胸あたるし顔の距離近いし女子の手を脇にはさむとその手が股間に巻き付くし
       
男子の股間は攻撃しやすいからな。
男子同士でチンコ握ったりタマ掴んだりはあたりまえ。
ただ女子にはやられたくない。
ホモかよとか言ってる人いるけど水球では普通のことだと思うんだけど。
      
男女差は他の競技と変わらないよ
トップ同士でも
大学女子≧高校男子なのはマジなんでしょ。
さすがにトップレベルは別だけど、水球には野球やサッカーみたいに絶望的な男女の実力差はないよ。
まあ、競技人口が男女とも少ないゆえの現象なんだろうけど。
      
小さいころからの経験者の技術+高校までトップレベルで競泳やってた人の泳力が噛み合えばかなりのチームができる。
こないだ観たけど、全国レベルの女子大生や女子高生がそこそこ強い男子高校生を泳力で翻弄してたぞ。
サッカーならスピードの男子vs技術の女子になるけど、水球では逆なのかな。
      
20年位前のことですが、当時 私は高校生で、日体女子に勝っていましたよ。練習試合しかしてませんがね。
男子がやはりつよいんだな、男子高校生と女子大生は互角か。
20年前、関西の男子高校生の(強豪校の!)水球レベルは高く、女子大学生には負けなかった。
       



JD・JK・JC・JS | 【2023-04-25(Tue) 10:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

親とのお風呂、いつ卒業?

     
大手新聞アンケートサイトの投稿からの抜粋(順不同)だが、けっこうエロい・・
    
【引用元】
    
     
     
   > 親子で入ったお風呂の楽しい思い出がある人も多いはず。
   > 父と娘、または、母と息子、
   > みなさんいつまで一緒にお風呂に入っていましたか。
   > また、自分と性別が異なるお子さんとはどうでしょうか。
       
       
       
       
<娘として>
中学まで
中2頃、急に恥ずかしくなりやめた気が。今、アメリカ在住で、小学高学年の息子とお風呂に入る日本人父が裁判沙汰など聞くが、親子のお風呂は日本のよい習慣だと思う。そもそも、裸を性の対象とみる西欧文化に疑問。
     
<父として>
小学高学年まで
 娘の幼かった時期に娘と一緒の浴室は、最高に楽しい空間だったと思います。それがなくなるきっかけは妻の言によると、友達との会話で父親と入浴している女子がクラスでは自分だけと気づいたという事情らしいです。
     
<父として>
19才以降も
スキンシップは大事です。
     
<父として>
中学まで
長女とは中2まで、一緒に入ってました
次女は、同時期に小6で終わりました
     
<父として>
小学低学年まで
晩婚でできた子どもだったし、立て続けに三人まで増えたので夕餉の支度をする家内と連携してわたしがいれた。下の子どもが3才になる頃、子どもたちだけで遊び半分にはいるようになったのでいつしか終わった。
     
<父として>
中学まで
小6の3学期に毛が生えてきたが、娘は特に気にするようでもなかった。しかし中1の夏休みに初潮が来たので、私から遠慮するようにした。中3の今も、私の目の前で気にせず裸になって着替えたりする。
     
<娘として>
19才以降も
姉は思春期以降別でしたが、私は父が亡くなるまで、帰省したときも必ず一緒に入って背中の流しっこをしていました。父といろんなことをたくさん話すことができました。幸せでした。
     
<母として>
小学高学年まで
長男が小学校6年の時、体を洗う股を「毛が生えて来たかな」と、じーっと見ている私の目線に気付いて「何みてるん!もうママとおお風呂はいらない」と言われてから入らなくなりました。
     
<娘として>
中学まで
初月経を迎えた日まで、父と一緒に入っていました。
私にとっては仕事で忙殺されていることが多い父と一緒に過ごせる貴重な時間の1つで、大きな父の背中を洗ってる時は言い難いことも素直に話せたり相談できました。
     
<娘として>
中学まで
自分が小学生の時は親子3人で入る事もあったので、それが普通だと思ってました!中学で友人にからかわれてからは一人で入るようになりました~。
     
<父として>
19才以降も
うちは風呂も大き目で割とOPENなのでお互いフレンドリーですね。
     
<父として>
小学高学年まで
小6の終わり頃、胸も膨らみ毛も生えて、白い肌がまぶしく感じられ…。もう中学生だから一人で入ることにしようと勧め、渋々了承したものです。
     
<父として>
中学まで
13歳ぐらいまでは入ってました。
というか、家内も入れて三人で。
娘が大きくなって、スペ-ス的に難しくなったので、
なくなった感じです。
それがなければ、もっと長かったかもです。
     
<娘として>
中学まで
実家が飲食店を経営しており、母は夕方から忙しかったために夕食後の私たち姉妹の面倒を見るのは父の役割でした。そのため、中学一年生で初潮が来るまで父と一緒に入っていました。
     
<父として>
19才以降も
娘は21になりますが、先に入っていると後から入って来る時があります(以前より回数は減りましたが)
      
<息子として>
小学高学年まで
親子が一緒に風呂に入って、
その狭い空間で語り合える関係って日本の良い文化じゃないですか?
海外だと逮捕とか言ってる人、ここ日本ですよ。
     
<娘として>
中学まで
ファザコンなので、23歳になった今でも入りたくなります。
父との会話が一番楽しいし盛り上がるので、お風呂に入るのも楽しかったです!!
でも、普通はもう1人で入るのが当たり前ですよね(*^_^*)。
     
<娘として>
中学まで
高校に入学して生理がきて、一緒にお風呂に入らなくなりました。
     
<娘として>
19才以降も
娘が今26でも一緒に入りますよ・・・別にお互い何も思わないです
      
<娘として>
小学低学年まで
父に「もう1人で入れるだろ?」と言われて。
そのとき私はちょうど思春期(第2次成長期)に入る頃で、
父は子どもの自立(親離れ)・子離れの一歩として良い時期
だと思ったらしい。
思い出は、湯温の設定争いぐらい。
     
<娘として>
中学まで
オープンな家族なうえ、私が1人めの子だったから、はずかしいとも思わずに。それでも止めたのは父からだったような…。
     
<父として>
中学まで
我が家は普通に、親子で入ってました。ちなみに、娘と息子と3人が日常でした。今は、娘25息子18ですが、普通に仲良しです。
        
<母として>
19才以降も
みんなそうでしょ
     
<父として>
中学まで
3歳までは一緒に入ってたがその頃父が海外出張で不在になり、父の帰国後に一度は一緒に入ったが、頭を洗われた時に手の感触と力加減を忘れてしまい、かなり痛くてイヤになりました
それ以降から一緒に入ってません
     
<母として>
中学まで
末っ子の息子とは、中二まで入っていました。
湯船につかりながら、息子とYouTubeの動画を一緒に見るのが何よりの楽しみでした。流行りの音楽やおもしろネタ、ひかきんの動画など、若者の流行りを知りました
     
<娘として>
中学まで
中学1年生まで父に髪の毛を洗ってもらっていましたが、だんだん一人でお風呂に入りたくなり、気が付いたら一緒に入ることはなくなっていました。特に意識したわけではなかった気がします。
     
<娘として>
小学高学年まで
弟がママっ子だったので温泉は小4まで男湯に行ってました。家ではパパママ五分五分くらい。
     
<父として>
中学まで
風呂の中で、その日の出来事を二人でよく話していた。
お互いにいい経験でした。
大学時代は給付奨学金を毎年もらい、今年電機業界トップの会社に内定した。
来年4月から娘は一人暮らしになるので、とても寂しいです。
     
<父として>
19才以降も
今は就職して家を出ていますが、それまでは普通に入っていました。
     
<娘として>
中学まで
自分はあそこに毛が生えてきてから入らなくなった。
娘は初潮を迎えてからだったが、おっぱいはふくらみはじめてた。
どちらかというと、こっちが意識して一緒に入らなくなったかな・・・
     
<母として>
中学まで
あまりきにならない
     
<娘として>
中学まで
父親と風呂に入るのが 気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかったけど 一緒に入る事を強要され 嫌だと断ると 殴る蹴るの暴行を受けていた。泣きながら一緒に入るしかなっかた。異性を汚いものと認識する様になった。
     
<父として>
中学まで
楽しかった。
     
<娘として>
19才以降も
優しかった父とのお風呂の思い出。手で水鉄砲を作ったり、100まで数えたり、お湯を入れた桶にタオルを被せ石鹸を塗り端から吹くと泡がぶくぶくする遊び 。おとうちゃま、お誕生日おめでとうございます。
     
<父として>
中学まで
中一ですが一緒です。ただし、小学生の妹達も一緒なので抵抗感がないのかも
     
<父として>
中学まで
親父次第です。いかに、娘によりそって生きて行くかだと、思います。娘の受験勉強を付き合う、夏休みの研究を一緒に考える、など長い思いやりが大切ですね。
     
<娘として>
中学まで
生理が始まってからは、毎日ではないですが、一年に一回は入ってました。風呂よりも同じベッドに入っていろんな話をしましたね~だからか、30になっても父とは仲がいいですよ。
      
<息子として>
18才まで
母親の裸を見れるのが嬉しくて、嫌がられながらも入り続けました。
今でも帰省した際に一緒に入っていますが、妻には呆れられております。
          
<娘として>
中学まで
中1ぐらいまでは一緒に入っていました。入らなくなった理由も、宿題が増え生活時間帯が変化したため。割とパパっ子でした。娘(高3・中1)達は今でも父親(夫)とお風呂に入るのに抵抗はないようです。
     
<息子として>
中学まで
赤ちゃんの時から母と一緒に入ってたから、
中学生になっても母と一緒にお風呂に入る事に、
何も違和感を感じなかったため。
     
<娘として>
中学まで
成人してからも、偶然一緒になった時入っていました。
「何で~」って、言いながら…
     
<娘として>
18才まで
嫌だったけど、勝手に入ってきた
高校を卒業するころに母親に相談したところ
入ってこなくなった、もっと早く嫌だと相談するべきだった・・。
     
<父として>
中学まで
中二の娘は私が仕事で遅くても、待ってますね。幸せだ。
     
<母として>
小学低学年まで
物理的な問題でした。子供2人と私、合計3名でお風呂に入る事がスペース的に難しくなったので。
    
<娘として>
中学まで
古い家でお風呂が狭く追い焚きが面倒なので、浴槽に一人洗い場に一人で順番にお風呂に入るのが我が家のルールになっていました。
高校になってからは父と入るのには抵抗があり父、母、妹か私の順番になりました。
     
<父として>
中学まで
娘が中学2年生まで一緒に入っていました、産湯から成長過程すべてお風呂に入れてきましたので違和感も感じていませんでしたが、お誕生日会で娘の友達が数人来たとき時。お風呂のこと内緒よ言われて以降やめました。
     
<父として>
中学まで
小学校4年生ころまではスーパー銭湯にも一緒に行ったが、
自宅の風呂ならともかく、人目のある戦闘ではやはり小学生
前くらいまで…かな?
     
<娘として>
19才以降も
お風呂は一緒トイレは別
     
<娘として>
中学まで
父とのお風呂は中3、弟とは高2まで入ってました。周りの友達と父とどれくらいまで入るかという話しになり小学校で卒業したと聞き驚きました。(笑)それからなんとなく一緒に入らなくなりました。
     
<娘として>
19才以降も
小5の頃友達が父と一緒に入っていないのを知って驚いた。機会があれば父と一緒に入っていた。高校で男の先生が『娘が成長しても一緒に入ってくれるのは嬉しい』と言っているのを聞いて親孝行できてるなと思いました
     
<父として>
19才以降も
親子なんだからいつでもいっしょです
     
<娘として>
中学まで
友達との会話で一緒に入っているのが自分だけって知って、その日から一人で入りました。
     
<父として>
18才まで
晩婚だったので、娘は高校2年。一緒に入るのをいやがるようになったので、もう終わりかなと思ってたら、勉強で夜遅くなった時、「シャワー一緒に浴びよう!」と言ってきます。シャワー派の娘との楽しい一時です。
     
<父として>
中学まで
嫌がる娘を強引に誘いこんで中一の夏までは一緒に入りましたが、やはりそれ以降は無理でした。
     
<父として>
18才まで
高1と中2の娘がいますが、なんの違和感もなく普通に一緒に入ってます。
娘の学校での話などを聞く良い機会にしていますし、娘もよく話してくれます。
逆に嫁と入ることの方が珍しいです。
     
<娘として>
中学まで
私は中1の途中で、父の方からそろそろ1人で入りなさいと言って来た。それから1人でした。
現在高1の息子は6年生まで。小6の息子は5年生まで。2年生の娘はまだ一緒に入ります。
     
<父として>
19才以降も
ケンカをすることがあっても一緒に入ります。進路相談などどちらかというと娘から入ってくることが多いです。
     
<父として>
19才以降も
そもそも娘も私もお互いを性的な目で見ることがないため、お互い異性であるという認識を持ちつつお風呂は普通に一緒に入ることが多い。
当然妻や息子も同様で、家族で入ることは非常に多いのが実際のところ。
     
<母として>
19才以降も
抵抗しても無駄だったので諦めた。でも一緒に入る時間が親子水いらずの時間でもあった。父亡き後、母が言った。「喧嘩した翌日なのにお風呂場から笑い声が聞こえてくるのよ。変な親子だったわ。」親孝行できてたかな
     
<娘として>
19才以降も
今でもパパと風呂に入る事はあります
パパの仕事が遅い時は1人で入ってます
風呂で学校の話や会社の話をしたり子供のころとは違う会話て楽しいです
恥ずかしとかは全くありません
     
<父として>
中学まで
はい
     
<娘として>
19才以降も
家族が多いので、全員で2~3人ずつ流れながら入浴。男兄弟、女兄弟も関係なくその日その日で色んな兄弟、親と入浴してました。
     
<父として>
19才以降も
生理がきたことをきっかけに一緒に入らなくなった
     
<息子として>
中学まで
これでもいいさー
     
<息子として>
18才まで
小さい時からの習慣で、高校を卒業するまで母と一緒に入っていました。二人暮らしなので、誰からも何も言われませんでした。今でも時間がない時は一緒に入ることがあります。
     
<父として>
19才以降も
娘は二人(25歳と35歳、ともに独身)ですが、二人とも全く気にせずに入ってきます。
こちらも気にしていません。
     
<父として>
19才以降も
子供が成人した後も時々入る
お互い風呂の中の方が話しやすい事もある
言いたい事を自由に言いあえる関係です
下着売場でお互いの肌着を選び合ったりもする
親子というより気を許せる仲間 親友という感じ
毎日楽しいです
     
<父として>
中学まで
娘も私もお互い違和感を感る事がありませんでしたので、娘が中学3年になった頃まで一緒に入っていましたね。
別々に入るタイミングをお互いに見失っていただけかもしれませんが。
     
<娘として>
19才以降も
この問題は父親が遠慮してしまうのが問題だと思う。中高生のころには嫌だったこともあるが、そのうち気にならなくなった。家族が多いと時間短縮にもなる。最近は家族湯程度だが、還暦過ぎた父の方がはずかしそうだ。
     
<娘として>
19才以降も
小さい頃からお父さんと入るのが楽しみでした!
結婚して子供もいますが、今現在もし入ろうかと言われたらきっと入れます。笑
でも、旦那にあきれられそうなので、やめときます。笑
     
<父として>
18才まで
娘は現在高校3年ですが 今も 週に1回とか2週間に1回は 一緒に入っています。
下は 男で 高校2年生ですが 中学1年ごろから 入らなくなり 完全に入らなくなったのは 中学2年の頃かと思います
     
<父として>
19才以降も
子供たちの散髪は、お父さんとお風呂場で・・・4人の子供全員!お姉ちゃんは20歳(大学2回生)になって、終了しました。散髪後の洗髪がお気に入りでした。
     
<息子として>
小学低学年まで
正確には覚えていません。なお、このアンケートは「質問1:お風呂卒業時のご自身の立場を選んでください。」の時点で間違った回答をしている方が多いようで、集計を見ても参考にならなさそうなのが残念なところです
     
<娘として>
18才まで
現在高校一年生ですが、まだ一緒に入ってます。学校でお父さんと一緒にお風呂入ってる人いる?みたいな話をされると少し恥ずかしいですが、別に悪い事をしてるゎけではないので!!変態ではありませんよ!
     
<娘として>
19才以降も
何も意識していない。家族みんなで入れます。
     
<父として>
19才以降も
お風呂は親子の絆の場です。
     
<娘として>
18才まで
銭湯で男風呂に入らなくなった時期から。
     
<娘として>
19才以降も
たまにしか会えないので会った時くらいはと一緒に入ります
     
<娘として>
中学まで
中1まで入っていましたが、最後は父から「もう一緒に入るのはやめよう」と言われました・・
     
<母として>
19才以降も
自然に入ってたな
     
<娘として>
19才以降も
去年まで父と一緒に入浴
5歳の時私の椅子の前で立ったまま頭を拭いていた父。
思わず眼前の長い物を掴んで「ゾーさん、ゾーさん」と
左右に振ったらコラッと一言、そして突然ミサイルに変貌
去年他界、天国で幸あれ!
     
<娘として>
19才以降も
25歳の今でもずぅーと入っています(^^)
いろんな話ができて楽しいです(*゚▽゚)ノ
     
<父として>
19才以降も
普通です
     
<父として>
19才以降も
娘19歳大学生 一人っ子です 遅い子だったので私は66歳になります 小さいころからずーっと一緒に入っており特に止めようとも考えた事がありません 頻度は月に3から4回位で今も入ってます
     
<娘として>
小学前まで
5歳か6歳のとき、一緒に入っていた姉が先に出て、すぐ父が入ってきた。
凄く嫌だったが、拒否するのも悪いと思い、急いで「10」数えてお風呂から出た。
あとにも先にもそれが父と入浴の唯一の記憶です。
     
<父として>
19才以降も
現在22歳ですが時々一緒に入ってます。
     
<父として>
18才まで
高校卒業してから、お父様のほうが一緒に入らなくなりました
私は。。なんでもなかったです
     
<娘として>
19才以降も
お嫁にいく前日に父の背中を流しました。
お風呂の湯気で父の姿はよく見ることができませんでした。
父も私も『ありがとう』ばかり言っていました。
     
<父として>
19才以降も
全然平気ですよ!!□
     
<娘として>
19才以降も
息子は小学校低学年まででしたが母と娘は20歳過ぎても入ってます。息子は父とたまに入ってます。異性でのお風呂は家によって異なります。
     
<娘として>
19才以降も
20過ぎた今でも帰省した時は一緒に入ったりします。小さい頃からお風呂でお父さんに相談事をしたり、時には喧嘩した後の仲直りをしたりしていたので抵抗とかは全然ありませんでしたね。
     
<娘として>
19才以降も
現在も一緒に入っています。
     
     
      
【引用元】

      



近親相姦 | 【2023-04-25(Tue) 07:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

銭湯に小学校低学年の女の子が入ってる

     
先週の土曜日、近くの銭湯に行ってきた。
なんと脱衣場に、小学校低学年、7歳くらい(推定)の女の子が!
下半身スッポンポン、ワレメとお尻丸出しでそこらを歩き回り、60代くらいの祖父(父親?)に「こらっ!」と怒られていたw
浴槽でも、大股開き、M字開脚を披露!
帰りもタイミングを合わせ、着衣までしっかりと見届けました!w
   
    
初老のほぼ爺さんがロケット乳首炉利を連れてきてくれた。
爺さんと思ったが、パパって言ってる、親父かよ。
それも美少女やな。
スパワールドは、やめれません?
   
    
小4~5年の男女2人+低学年~幼稚園3人が一かたまりになって動いてたので、てっきり大家族の子たちで、上2人は年子の兄妹or姉弟かと思っていたら、その2人がそれぞれ別々の男性をお父さんと呼んでいた事から、子供らは父親同士が友達なだけで家族ではなかった事が判明。
なのにその上2人は互いに裸を恥ずかしがる事なく普通に背中を流し合っていて、なんかエロチシズムを感じた・・・
   
     
銭湯で小学校低学年位までの子ならならおさわり出来るけど、父親には絶対見つからないようになww
女児に触ってるヤツってすぐ解るんだよな!
濁ってる風呂で無駄に片方の肩が沈んできて女児がビクっとする・・・
そして首の動きと目線がが挙動不審になりがちなんだよ!
父親だけじゃなく他の客や同業の動向も気にしてくれよ!!
    



幼馴染・親友・友達 | 【2023-04-25(Tue) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

昔の日本人は中学1年生頃にみんな「卒業」していた

     
昔の日本人は中学1年生頃に“卒業”していた!?
     
やはり知識として知っていないと「女の凹に男の凸を入れる」という行為は行えないものなのでしょうか?
気になったので調べてみました。
     
流石に太古の時代のことは調べられませんでしたが(汗)。
飛鳥時代~平安時代くらいまでの情報は入手できました。
     
昔の日本は、「ムラ社会」。
たくさんの大小のムラが全国各地にあり、人間はムラ単位の共同体で生活していました。
     
このムラの中で、13歳くらいになった男女(女は初潮を迎えたあと)は年配者から“筆下ろし(童貞卒業)”や“水揚げ(処女卒業)”を行って貰っていたようです。
     
その筆下ろし&水揚げは一種の祭りとして捉えられ、ムラを上げての祝い事となっていたようです。
     
やっぱり、セックスを知ってる人間に実践として教えて貰っていたんですね!
     
そして、平安時代くらいになると、いわゆる「セックスの教科書」が誕生したみたい。
『偃息図(おそくず)』と呼ばれるもので、性的題材を描いた絵画のこと。
     
しかし、当時は医学的な側面も持ち合わせていたもののよう。
だからこの偃息図でセックスの勉強をする方は、高貴な方々だったのでしょうね。
     
なので、平民は相変わらずにムラの年長者に実践行為で教えて貰っていたのでしょう。
     
飛鳥時代も平安時代も、江戸時代だって、当時は現代のように「処女は大切に守ったほうが良い、1人の人と一生涯添い遂げるべきだ」なんていう観念はありません。
     
なので、結構みんな早いうちに“知っている”異性と関係を持っていたようですよ。
     
基本的に、童貞×処女の組み合わせはなかなか無かったようです。
     



童貞・処女 | 【2023-04-24(Mon) 23:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

昔の海女は全裸だった

     
昔の日本の海女は全裸での労働が当たり前だった。
  
   
【動画】AMA Mergulhadoras Japonesas 

   
   
現在、女ふんどしが売り出されて話題を呼んでいるが、昔は、海女(あま)の労働着として、腰巻きと共にふんどしが使われていた。
    
日本のあちこちでその例が見られるが、能登半島の先端にある舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれる海女ふんどしは、その代表例である。

このサイジは、一本の細索(さいさく 細いロープ)を横褌(よこみつ)に使い、その中央に三角形の刺し子の布をつけた簡単なもの。

越中褌のように紐を前で結び、三角布を股下から前に導き、前褌(まえみつ)の外側から内側に巻き込んで止めている。

越中褌の前垂れは外側に垂らすが、サイジはその反対で、しかも前垂れに当たる部分がとても短い。

彼女たちは実践を通じて改良し、このようなかたちになったもので、これで外れないのは、海の中では刺し子が濡れて摩擦が増し、この寸法で外れることがないことを知ったのであろう。

貴重な布なので、必要にして十分な形状がこのサイジなのである。

一つとして同じものがないのは、かつての越中褌のように、体型に合ったサイズを手作りしたためである。

現在のダイバーのように身体が浮かないようにロープに鉛を巻いた重しをつけ、鮑(あわび)おこしの貝金(かいがね)(重さ約3kgの鉄製)を短刀のように腰に差した姿は、とても大胆で精悍な姿である。

当時、乳房を丸出しにすることは、裸文化の日本では、海女に限らず、日本人にとって恥ずかしい行為ではなかった。
     



純愛・恋愛 | 【2023-04-24(Mon) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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