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誓約(うけい)の性交に拠る血の融合をつくり戦争を回避する先人の知恵

     
和を重んじる 誓約 うけい と読む 先人達は和合を繰り返し この一つの民族を造った そんな努力があり1300年以上もの歴史がある
     
誓約(うけい)の性交に拠る血の融合
     
政(まつりごと)=せいじ 性行為 せいじ 和合 混血 ご神前でシャーマンがまつりごと=うけい
     
和を重んじる 巫女が ご神前で性行為をやる・・・いきまくる状態 シャーマン 卑弥呼
     
混血をつくり 戦争を回避する知恵
     
和合する
     
古代人の先人の知恵 縄文人と弥生系・渡来人もやりまくった
     
縄文人と弥生人の戦争の痕が あんまり残っていない現実
     
そんで 現代の日本人 廻りを見渡せば けっこうに縄文系の顔が多いようにも思うのだ
     
言葉が解らない男女が やりまくっても、双方 けっこう気持ちイイ
     
誓約
     
元 吉備の国 備前 美作にもシャーマンの女性がすんどったなあ
     
天の磐戸の前でも 半狂乱の状態で 踊りまくった女性の神様もおった とも書かれています
     
この女性の神様は 大麻を使ったかも知れんなあ
     
そもそも伊勢神宮のお札は大麻草だった のでは なかろうか?
     
10/29 日曜日は 魏志倭人伝の時代の日本を書いたし
     
10/30は 卑弥呼の時代より 渡来人も多くきて 元の原始日本人と渡来系日本人の融合を描いた
     
2000年ほども 前の時代より 船を利用して 
     
倭人は朝鮮半島までも 中国大陸までも ウロウロしとった
     
     
そんでな 日本の初の天皇と名乗ったのが 天武天皇かなあ?
     
この天皇は中国式を多く取り入れた と思うなあ
     
話は変わり、
     
来月は トランプ大統領が天皇に拝謁されるじゃない
     
習近平総書記が こられても 前回のオバマ大統領が来られても、
     
90度の礼と ひざまずいての挨拶をなされるのが 国際常識 慣例なのじゃ
     
勿論 韓国の大統領が お見えになっても それは会いたいならば 同様
     
1300年以上の歴史を有する それは 実は凄いのや
     
中山太神宮トーナイも古代に 勿論 伊勢神宮にも入っています
     
     
     

     



その他 | 【2023-04-27(Thu) 07:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

「思い出は降る雪のごとく遠く切なく・・・」 3

     
六 手淫の誘い 
「若さあ、起きんがいね。」
次の朝、私は久の声で目覚めた。
まだ寒さが残る、しかしよく晴れた明るい早春の朝だった。
昨夜のことが一瞬に蘇った。
あれから久は自分の寝床に戻り私もまた力尽きてすっと眠りに落ちてしまったのである。下腹に手をやるとかすかに何かの気配が残っている。
しかし、それだけで普段の朝と少しも違わなかった。
久はすぐに朝餉の支度をして、私たちは昨夜と同様に六畳のちゃぶ台で向かい合って差し向かいの朝食を摂った。
    
 お互いに昨夜のことは一切口に出さなかった。
確かに自分は久の体を抱き、乳房を吸い、下腹をまさぐったはずだった。
しかし、それは本当だったのか?と思うほど久は全く何事も無かったそぶりだった。
ただ、一つだけ何となく違っていたのは、久と自分の間のぎこちない空気がなくなっている事だった。昨日はまだ一緒の部屋に二人きりでいるぎこちない空気があったが、それがすっかり無くなっている。言葉では言えないが、何か微妙な親密さが生まれているのだった。別に久は馴れ馴れしくするわけではなかったし、私も普通の下女を相手にするのと変わりなかった。しかし、何かが二人の間の空気に親密なものを生じさせていた。
子供なりにそれは感じていた。
   
 その日から私は近くに住む中学教師の家に勉強を見てもらうために通い始めた。
昼は家に戻って久の準備した昼食を食べた。
夕方、戻ると、久はずっと家の中で家事をしていた様子で、嬉しそうに
「若さあ、お帰りなさいませ。」
とまるで妻のように玄関で三つ指をついて迎えてくれたのだった。
    
私は心底満足だった。
離れで独立した生活を始めていっぱしの大人になった気分だった。
小なりとも言えども、一家の主だった。
そして何よりも大きかったのは、久の存在だった。
確かに久は「妻」のようだった。
自分だけのためにこうして家事をして待っていてくれる。
そうして、夜はまた一緒に風呂に入り、一つ布団で抱き合うのだ。
そう思うと、もう勉強どころではなかった。
中学教師の家でも頭の中は久のことがいつも溢れて勉強に身が入らなかった。
    
 その夜も当然のように私たちは一緒に風呂に入った。
そして同じように私は久の背中を流した。
違っていたのはそこからだった。
私は久を立たせて裸の久の体を正面から抱き寄せたのである。
久は抗わなかった。
二人は暗い洗い場で裸の姿でしっかりと抱き合った。
そして私は昨夜布団の中でしたように久の下腹を手でまさぐった。
久も当然のように硬直した私の性器を握り締めた。
二人はお互いの性器をまさぐりながら長い時間そこで抱き合っていた。
痺れを切らしたのは私のほうだった。
久の性器の中を指先でいじりまわし、久がそれに応えて硬直をしっかりと握り返すのを楽しんだ。
そして・・・・
私は精液を久の手の中に放った。
    
 風呂場は後始末には好都合だった。
久は嬉しそうに微笑んで、
「若さあは、悪いお人じゃがねし・・」
そう言って丁寧に洗い清めてくれたのだった。
風呂から上がって布団に潜り込むと私は久を待った。
そうして「おやすみなさいませ」
と挨拶する久の手を握って布団に抱きいれた。
もう久は拒まなかった。
逆にそれを待っていたかのように、すっと自ら体を布団の中に滑り込ませてきたのだった。
   
 昨夜とは全く違っていた。
私はすでに一回放ち終えてすっきりしており、落ち着いて久の体を抱いた。
逆に久のほうは風呂場での行為の続きになったから、酷く敏感になっている様子が分かった。
最初から私は久の寝巻きを肌だけさせて乳房を吸い下腹をまさぐった。
久もまた私の硬直を握り締めた。
私は落ち着いて久の反応を伺いながら久の性器をいじった。
そして久が酷く敏感に反応する部分が有ることを理解した。
偶然そこに触れたときだった、久は体をビクッと震わせて私の性器をぎゅっときつく握り返したのである。
私は夢中になってその秘密の箇所を探った。そしてここらしいと言う場所を探し当てていた。案の定、そこを攻めると久は立て続けに体を震わせて私の体にしがみつくのだった。そうして、思ってもいなっかたのだが、久の性器は熱く熱を帯びべっとりと濡れているのだった。おしっこ、だと思っていた私は、興奮して大人の女はおしっこを漏らすのだと思った。しかし、ぬるっとしているから、普通のおしっことは違う気もした。
多分、自分が漏らしたように何かの汁が久の性器からも漏れ出しているのだと思った。
でも自分のは子種の汁だと教えられたから、女の汁は一体なんだろう?
久の体を抱きながら、そんな事を考えるゆとりさえ有った。
   
 今度は痺れを切らしたのは久の方だった。
繰り返し敏感なところを攻める私に久は焦れたように、
「若さあ、ね、あんましそこをいじったら嫌・・」
と拗ねたような鼻声を漏らした。
それは今まで一度も経験したことの無い女の甘えた物言いだった。
清が時々ふざけて甘えた声を出したがそれは全く子供の声に過ぎず、女の言葉ではなった。私は面白がってかえってそこを集中して責め続けた。
「いや、いや、イヤッ・・・」
久が勘に耐えたように小声で恥ずかしそうに呟いた。
しかし久は決して離れようとはせずにますますきつく私に抱きついてくるのだった。
久は、お返しにきつく私の性器をしごきにかかった。
そしてあっけなく、私は久の攻めに陥落した。
    
 久は昨夜と同じように丁寧に私の汚れた性器を拭き清め、寝床から離れようとした。
「あかん、久、もう少し一緒に居てくれんがねし。」
久の体を抱き寄せて引きとめた。
「あんだ、若さあ、まんだするがいね?」
「ううん、違う。たんだ一緒にいるだけでええがねし。」
「はい、若さあの気の済むまで一緒にいますがねし。」
久は従順に頷いて私の体を抱き返してくれた。
黙って二人は抱き合っていた。
お互いの体の温もりで次第に眠気が襲ってきた。
深い満足と幸せに中で私は幸福な眠りに落ちていった。
    
   
七 性の手ほどき 
   
 春休みはあっと言う間に過ぎていった。
やがて越前大野にも遅い春がやってきて城址公園には満開の桜が彩を放った。
私と久との離れでの生活は全く何の不自由も無く満点の生活だった。
それは十二歳の子供と三十七歳になる女との奇妙な「夫婦」生活だった。
 六年生の新学期が始まり私は離れから学校に通うようになった。
学校から帰ると週に二回、中学教師の家に勉強を見てもらうために通うのだった。
もともとあまり外で活発に遊びまわる子供ではなかったから、放課後はすぐに家に帰っていたし教師の家に行かない日は大抵六畳の部屋で本を読んだり趣味の模型を作って時間を過ごすことが多かった。離れで暮らすようになって、そうした子供らしい生活が少し変化していた。
 離れには常に久が一緒に居り、二人きりになるのだった。無論、久は下女として繕いやら夕餉の支度やら風呂の支度やら家事で忙しそうに立ち働いていたが、私は久の事が頭から離れず、少しでも一緒にいようと口実を作っては久を部屋に呼びつけた。そうしてふざけて久の体にちょっかいを出したり抱きついたりするのだった。久は決して嫌な顔をせず家事の手を休めて相手をしてくれるのだった。
 久は口数が少なく、大人しい女だった。そして他の下女とは違って、背が高く、すっとした見栄えで、子供の目から見ても、凛とした雰囲気を持ったいかにも士族の出だと思わせる女だった。しかしそうした大人の女の近寄りがたさや冷たさは感じさせず、優しく柔らかでふくよかな温かみを感じさせる女でもあった。
私は久が本当に好きになっていた。
それは所謂大人の恋愛感情ではなかったが、自分ではそれに近い、ときめきの対象としてとらえていた。そんな大人の女が自分の下女として一緒に暮らすことに、私は嬉しく毎日がそれだけで楽しかった。
   
 私たちは毎夜、一緒に風呂に入りそして布団を並べて一緒に寝た。無論、私は久を自分の布団に誘い久は私が寝付くまでの間必ず一緒に寝てくれた。そうしてお互いの体を抱き合い、手でお互いの性器をまさぐり合い、私は久の掌に精を漏らして寝につくのだった。それは私にとっては最も大切な毎夜の行事になっていた。
   
 久は毎夜の寝床の中で少しずつ、私に性の手ほどきをしてくれた。
後に久から聞いたことだが、実は母が久に私への性の手ほどきを頼んでいたらしかった。私は離れで暮らすまで清に世話を見てもらっていたが、一緒に風呂へ入ったり、一つ布団に寝たりして、そろそろ性的に目覚める年頃の私を心配したらしかった。もし若い下女の清と間違いが有って、赤ん坊でも出来ればやはり困ったことになる。そして、母は私が父親譲りの女好きの性癖を持っていることを見抜いていたらしかった。
 清を遠ざけるのは良いが、放って置けば私は他の下女に手を出していただろう。実際、下女の入浴を盗み見たり、厠を覗いたり女中部屋に忍び込んで着替えを盗み見たりしており、母はそんな私を心配していたのである。そして、思い切ってきちんと「嫁」を持たせて大きな間違いが起きないように監視させ、かつ性の手ほどきをさせてしまおうと考えたようだった。
 久は従順で性格も良く士族の出で育ちも悪くない。それに二度も離縁された身を拾われた恩も有ったから無理を頼みやすかったのだろう。もっと大切なことは、久が夫婦生活の経験のある年増の女であり、なおかつ子を産めない体だったことだと思う。要はまかり間違って何か有っても子は出来ず、大切な嫡男の性の手ほどきをさせるにはまたとない存在だったのだろう。今、振り返ってみれば、その母親の作戦は見事に成功したと言ってよかった。
   
 私は初めて接する大人の女に夢中になった。そして母の狙い通り、私は女というものを学んだのだった。ただし、他の女に手を出して問題を起こさせないと言う点に関しては残念ながらあてが外れたと言って良かった。かえって私は自信をつけて他の女にも手を出すようになったのである。だから、中学でも勉強は下から数えたほうが早いほどの成績で、当時入学試験が簡単だった同志社の予科にもぐりこんだのだった。しかし私は今でも久に感謝しているのは性のあれこれの知識を実地に教えてもらったことだった。もとより性教育など有り得ようも無い時代で、普通なら若集宿で知ることも私は無縁で、正しい性の知識を得る機会は全く無かった。男子にとって女子を良く知ることは大切なことであり、それも年上の経験のある女性から手ほどきを受けるのが最良の方法だと私は思っているが、まさに私はそれを受けたのである。久を通して私は女というものを学び、その後の人生で女を相手にするのに本当に役に立ったと思っている。
    
    
    ・・・・・  続く ・・・・・



その他 | 【2023-04-27(Thu) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

むしろ女性の方がセックスに積極的だった飛鳥・奈良時代

     
歴史における日本人女性には、大和撫子という言葉が象徴するように、「控え目、一途」というイメージがある。
しかし本書によれば、万葉集をひもとく だけでも、その時代(飛鳥、奈良時代)の女性がセックスに積極的だったことがわかるという。
      
例えば当時は、男性が夜の闇にまぎれて女性の寝床を訪問する「夜這い」は文化だった。
同時に、女性が男性にいつでも来てねと誘いをかける「妻問い」という文化もあったそうだ。
ちなみに本書によれば、夜這い文化の発祥は 、大黒様(大国主命)なのだそうだ。
            
また、奈良時代以降「歌垣」という集まった男女が歌を詠みあった後にフリーセックスを行う、今風にいえば出会い系パーティー(全国各地で開催された)が盛んだった。
そこにも、人妻も含め(なんと既婚者もOKだった)女性たちは積極的に参加した。
      
さらに平安時代の鵜坂社(現在の富山市にある鵜坂神社)には、「尻叩き祭り」というイベントがあったそうだ。
このお祭りでは、男性経験の数だけ女性が榊(さかき)の枝でお尻を叩かれるのだが、皆決して過少報告はせず、著者は「多くの男を経験することは、当時の女性にとって勲章だった」と記している。
      
      
      

      



人妻・熟女 | 【2023-04-26(Wed) 23:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

開けっ広げで寝てたから夜這いができる、昔の田舎じゃ当たり前

     
夜這いができると言うことは、開けっ広げで寝てると言うことだよね。
昔の田舎じゃ、当たり前のことだったんだろうけど
      
鍵をかけずにおとなしく浴衣着て寝てるってことでガバっと股開けてるわけじゃない
それじゃ男が引くし、おとなしくドキドキしながら濡れ濡れで待ってるんだよ
それぐらいしないと子どもができないくらい男を鼓舞する必要があったということ
      
つまり、夜這いとか関係なく暑い夜は雨戸や障子を開けたまま寝てたのかも知れませんね?
場所は忘れましたが昭和の頃、出かける時にほとんどの家で鍵をかけない地方があった。
いずれも今は、どうなのでしょう?昔とは状況も違うでしょうし
      
子供たちに、セ●クスを教えたと云うオコモリと言う行事に興味あるな。
子供をつくることも大事だが、セックスを教えることも大事。
      
名家とか有名人の子孫なんかは血を重んじるけど
夜這いが盛んな地方では村の女は村のものということだったらしい。
今のように避妊とか検査とか、ちゃんとできないから
誰の子供かわからないよね。
      
今は、どこにも残ってないんじゃない?
地方の山奥の集落なんて、あっても若い人いないだろうし過疎化が進んでる。
昔は四国あたりにも、あったんじゃないかな?
今、日本に秘境と言えるようなところあるのかな?
      
ハロウィンよりくらやみ祭りのほうが楽しそう。
      
今とは性的な規範がまるで違うから。
オトコは自分のこどもじゃなくても気にしなかった。
(同じようによその家に自分の子供がいてもおかしくないわけで)
友人男性に今夜うちのかあちゃん慰めてやってくれよなんて会話も日常だった。
今で言うNTRという概念は存在しなかったんだね。
集落によって夜ばいにもルールの違いはあったみたい。
      
欧米はキリスト教で一夫一婦制が規定されているが
日本ではそんな規定は無い だから江戸時代には大奥があった
少子高齢化を脱するためには大奥を復活せねば
      
大奥は将軍ひとりの遺伝子を保持するための特異なシステムやさけ
人口増加の目的にかならずしも合致してるとはかぎらんで
      
浮気いう概念は子育て上の都合からの帰結やさかいな。
子供が4年くらいで成人してくれるんなら「浮気」いう概念なんか必要あらへんがな。
      
養子縁組は現代よりずっと日常的におこなわれていたから、現代人が想像するような性的な抑圧があったわけじゃない。
うまれてくる家庭には6人も7人もうまれてくるんだから、子沢山の家庭がむしろあっちこっちにあって養子の「送り出し手」は やまほどあった。
土地持ちの庄屋や豪商、都市の商店が丁稚を大量に抱え込むのも養子候補をストックする意味があった。
血縁が絶えてるイエなんていくらでもあるんだよ。
むろん男系相続となると、もっと困難になるわけで。
そもそも産まれたとしても 容易に死ぬ社会やからね。
実子相続なんかにこだわってられんよ。
      
      

     



不倫・浮気・寝取られ | 【2023-04-26(Wed) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

自ら「名告り」女性の名を問い、呼合う(よびあう)は「よばう」へ転化

     
万葉の頃から男はせっせと女の許へ通ったといいます
     
「通い婚」とか「妻問婚」とよばれていますが
     
男が女を選ぶのではありません
最後は女が男を選ぶのでした
     
「かぐや姫」もそうでしたね
5人の男たちそして
最後は帝まで含めたかぐや姫争奪戦。
     
最後は姫は誰も選ばず
月に帰っていきます
     
     
     
さて4500首以上ある万葉集の歌ですが
     
その1巻1番最初の歌が雄略天皇の長歌です
     
《 籠(こも)よみ籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよみ掘串(ふくし)持ち
     
この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ)家告(の)らせ 名告(の)らさね
     
そらみつ大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ
     
しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ
     
家をも名をも
     
[現代語訳]
     
美しい籠を持ち美しい箆(へら)を手に持ち
この丘で菜を摘む乙女よ
     
きみはどこの家の娘なの
名はなんと言うの
     
この 大和の国は すべて僕が治めているんだよ
     
僕こそ名乗ろう家柄も名も
     
果たしてこの歌が本当に雄略天皇の歌だったのかどうかは
     
別にして何と微笑ましい平和な歌でしょうか
     
どんな歌かといえば要略すると
     
《私は名告ります、あなたの名前は何と言うのですか》
     
この歌の隠されてテーマは「名告り」なんです
     
実はこの時代 男もそうなんですが特に女性の名前は
     
家族以外に知られることはまずなかったと言われています
     
名前は基本的には秘密だったのです
     
あの源氏物語の紫式部も枕草子の清少納言も本名ではありません
     
ですから男が自らを名告り相手の女性の名前を聞くと言うことは
     
普通ではなくまさしく《プロポーズ》そのもの だったのです
     
そして 女性がそれに応えて名前を言えば婚姻成立です
     
     
     
こんな万葉集の歌もあります
     
《たらちねの母がよぶ名を申さめど、道行く人を誰と知りてか》
     
12-3102 読み人知らず
     
[現代語訳]
     
通りすがりのあなたが自分の名前を名告らないのであれば
     
母がつけた私の本名をお教えできるはずなどありません
     
お互いの名前を呼び合う行為呼合う(よびあう)は求愛の行為です
     
よばいと転化してその後この国の最近まであったという
     
〈夜這い〉と言う習俗になったと言われています
     
     
     
もっと古く文字がなかった頃には〈歌垣〉といって
     
特定の日時と場所に老若男女が集まり共同飲食しながら
     
歌を掛け合う神事がありましたここでカップルが決まります
     
プロポーズの始まりはデュエットからだったのです
     



その他 | 【2023-04-26(Wed) 20:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

誓約(うけい)、性交に拠る血すじの融合によって戦争を回避する古代の知恵

     
部族 民族同士の 勢力争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効がある道具
     
誓約(うけい)の性交に拠る血の融合
     
政(まつりごと)=せいじ 性行為 せいじ 和合 混血 ご神前でシャーマンがまつりごと=うけい
     
和を重んじる 巫女が ご神前で性行為をやる・・・いきまくる状態 シャーマン 卑弥呼
     
混血をつくり 戦争を回避する知恵
     
和合する
     
古代人の先人の知恵 縄文人と弥生系・渡来人もやりまくった
     
縄文人と弥生人の戦争の痕が あんまり残っていない現実
     
そんで 現代の日本人 廻りを見渡せば けっこうに縄文系の顔が多いようにも思うのだ
     
言葉が解らない男女が やりまくっても、双方 けっこう気持ちイイ
     
誓約
     
元 吉備の国 備前 美作にもシャーマンの女性がすんどったなあ
     
天の磐戸の前でも 半狂乱の状態で 踊りまくった女性の神様もおった とも書かれています
     
この女性の神様は 大麻を使ったかも知れんなあ
     
そもそも伊勢神宮のお札は大麻草だった のでは なかろうか?
     
10/29 日曜日は 魏志倭人伝の時代の日本を書いたし
     
10/30は 卑弥呼の時代より 渡来人も多くきて 元の原始日本人と渡来系日本人の融合を描いた
     
2000年ほども 前の時代より 船を利用して 
     
倭人は朝鮮半島までも 中国大陸までも ウロウロしとった
     



その他 | 【2023-04-26(Wed) 16:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

父親の名前を明かすことのできないシングルマザー

     
夫との結婚生活などには全く興味がないものの自分の子供は欲しい、そういった女性が年々増えているという。
「父親の名前を明かすことのできないシングルマザー」である。
    
アメリカでは1995年に精子バンクが整備され25万人の赤ちゃんが誕生した。
精子バンクに欠かせないのがドナー(精子提供者)でありドナーの男性には1回75ドルの報酬を得ることができるという。
しかし精子バンクの利用には数百万円もの大金が必要で、払えない女性も多い。
そこで、子種欲しさに男性をレイプする女性もいるという。
    
イギリスに住むララさんは自らスペルマハンターであることを名乗り出てメディアにとりあげられて有名になった女性である。
彼女は美貌を武器に深夜のパブに精子狩りに出かけるようになった。
   
ララさんはすでに25才、彼女の友人20人のうち、すでに17人が母になっており、ララさんも1日でも早く、わが子を抱いてみたいと思っている。
過去に数人のボーイフレンドもいたが、ララさんは妊娠しにくい体質のようで子宝に恵まれなかった。
そして「赤ちゃんが欲しい」と執拗にSEXを迫るララさんに、どの男性も体力が続かず逃げ出してしまう。
   
もう今では男は子作りの道具としか興味がなくなってしまったという。
そして、もし妊娠しても、その相手に再度会う気は全くないと言う。
   
彼女は一番妊娠しやすい日を選び、おしゃれに着飾り、かつらを着けて変装してバーに出かけます。
変装するのは相手と2度と会いたくないからです。
パブで女友達と待ち合わせてから、一緒にドナーの品定めをします。
    
妖しい視線をなげる巨乳で陽気なララさんに、男性はすぐ興味を示します。
男性が声をかけてきたら、ベッドインをほのめかします。
手っ取り早くパブのトイレや車の中で精子の提供を受ける場合もあります。
もしベッドインした時は、早朝にこっそりベッドを抜け出して帰宅します。
    
イギリスでは性病の怖さが周知されており、ララさんはまず男性に性病の有無を尋ねます。
相手も正直に答えるため、性病になったことは一度もないとララさんは言います。
また、男性がコンドームの装着を要求すると、ララさんはあらかじめ穴を開けておいたコンドームをバッグから取り出し、使います。
    
もし子供ができたら、ララさんは「お母さんとお父さんは素敵な一夜を過ごし2度と会うことはなかったの」と説明するそうですが、この1年間で20人の精子提供を受けたにもかかわらず、まだ子宝に恵まれないということです。
      



レイプ・痴漢 | 【2023-04-26(Wed) 12:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

「和解の性交」により闘いの後の信頼関係へと変わる、日本人の根本精神

     
日本人の本源性はどうして培ってきたのでしょうか。
2000年におよぶ性生活のありかたと闘ったあとの和合の方法にヒントがいくつかあるようです。
     
日本の村落では、「夜這(よば)い制度」や「寝宿(ねやど)制度」、「お祭り」などが発達し、独特な村落集団婚で全村で身内気分となる精神に拠る集団社会を実現して、老人も子供も女性も村のみんなで面倒を見るというルールだったのです。
     
性行為は自分もうれしくなり、相手にも喜んでもらえるもので、人間誰しも、喜びを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられるものです。
和解の性交(和合)は争いから信頼に変える手段で、それが日本に古くから伝わる「誓約(うけい)」の根本精神です。
      
また性交は異部族を一つの群れに和合させるものであったようでした。
性交を伴う忠誠のあかしとして誓約が行なわれていました。
この誓約(うけい)の概念が、実は二千年の永きに渡って日本の民の精神形成に大きな影響を与えて行ったのです。
今回はこの「誓約(うけい)」について研究しましょう。
     
日本書記や古事記のような神話や伝説には、「誓約(うけい)」は忠誠を示す為のもので、誓約(うけい)を行って、新たなる神や子供が誕生する話が多いことがわかります。
一般的には、誓約(うけい)を「占いの結論や神に対する祈りの誓(ちか)いの事だ」としているようです。
しかし実は性交を伴う忠誠のあかしが「誓約(うけい)」であるということが推測されます。
「古事記・日本書紀」の根幹を為すものは、「誓約(うけい)神話 」だということです。
つまり性交は異部族を一つの群れに和合させるものとして機能していたということです。
     
日本には大陸から次々に個別の集団が渡ってきました。
二つの集団が平和的に合流するには、誓約(うけい)の概念に拠る「集団婚」が適切で、実態は双方をつなげる「集団内フリーセックス」だったのです。
「集団社会」での誓約(うけい)の性交は警戒心を解き、安心して人間を繋ぐことになりました。
戦争(殺し合い)よりも当然良いわけですね。
     
実際に、豪族や皇室の主導権争いは毒殺や暗殺が多かったという理由が理解できました。
戦争が終わってから御互い和合(性交)するというルールであれば、兵隊は本気で闘わないということになるでしょう。
武士の世の中になって、フリーセックスではない厳格な戒めが成立できて初めて本格的な戦争ができるのでしょう。
     
別々の集団・部族が親密さを増す究極の手段が旧観念の倫理観(愛などの観念)や独占欲(生涯一人を思い続けるなど)を超越した誓約の(うけい)による性交(和合)となります。
異民族の王同士の結婚、これは異民族同士の和解を意味し、また双方が滅びないで済むことになるのです。
究極の和解であり、民族同化が可能となるのです。
日本列島の民は、この誓約の(うけい)の性交を持って「集団の同化、融合、拡大」を図り本来は多民族であったものが単一民族へとなっていきました。
     
性行為は自分も喜び、相手にも喜びを与えるものですから、人は誰しも、喜びを与えてくれる相手には優しく成れ、信じられるようになります。
つまり和解の性交は争いとまったく位相が異なり、否定視から肯定視(信頼)に変えるもので、それが日本に古くから伝わる誓約(うけい)の根本精神です。
この誓約(うけい)の概念が、実は二千年の永きに渡り、日本の民の形成に大きな影響を与えて行ったと考えると日本人の本源性が理解できます。
     



その他 | 【2023-04-26(Wed) 10:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

神様たちが性に奔放過ぎ、古事記は最古のエロ本もどき

     
日本人ならば読んでおいて損は無い一冊ですが、実は古事記は「世界最古のエロ本」と称されることもあります。
理由は当然、内容がエロいから。
頻繁に性行為の描写が出てくる古事記。
物事の起点や転換点、解決策とありとあらゆるシーンで性行為が行われます。
今回は、意外にエロい日本創世の物語をご紹介します。
      
     
イザナギノミコトという男の神様とイザナミノミコトという女の神様が出現する所から日本の神話は始まります。
矛で日本という国を作った神様のイザナミとイザナギは人間の形となり、日本の地へ降り立ちます。
      
そんな2人は「人間の体」に興味津々。
      
イザナギ「お前の体、どーなってんの?」
      
イザナミ「凹んでるトコロがあります。」
      
イザナギ「オレには凸ってるトコロがあるな。お前の凹んでるトコロとオレの凸ってるトコロを合わせてみようか。」
      
イザナミ「いいですよ。」
      
・・・ってコトで「みとのまぐわい」という初の性交を試みることに。
そして、大地や他の神様など多くの子供を産んでいくのです。
コレが「国産み神産み」であり、日本は単純、いや、実に純粋なやり取りで産まれたようです。
      
      
アマテラスオオミカミが弟のスサノオの乱暴に怒り、天岩戸に隠れてしまうという神話。
日本神話の中でも割と知られているストーリーで、子供向けの文学にもこの物語は存在しますが、古事記の中には子供向けには削除されている部分が。
アマテラスを怒らせたスサノオの乱暴とは、部屋に大便をぶちまけたり、神馬を生きたまま皮を剥いで投げつけたりといった行動。
そりゃ怒ります。
そしてアマテラスは天岩戸に隠れるのですが、外では神々が賑やかに騒いで気を引こうという作戦に出ます。
大盛り上がりになったのは、アメノウズメノミコトのストリップ。
胸をはだけ腰巻を下ろした状態で踊り狂うアメノウズメノミコトに男の神様たちは大喜びします。
アメノウズメノミコトは天岩戸だけではなく、天孫降臨の神話の中でもサルタヒコに自身の女性器を見せた描写があります。
これは脱ぎたがりの露出狂、というよりも女性器の神秘性を表現している、とされています。
      
      
神様だけの時代から、人間と神様が共存する時代になると、神様は人間に対し色々と性的なコトをしようとしてきます。
三輪山の神様であるオオモノヌシは、美しい女性が当時のトイレである川屋で大便をしている際に、赤い矢になって近付き女性器を突きます。
その矢を寝床の横に置けば、たちまち矢が美しい男性に変身。性交し、妊娠してしまいました。
「女性の排便中に性器を突く」という発想が奇想天外で、何故そうしようと思ったのか動機を問い詰めたいところですが、女性も女性でなんでいきなり性器を突いてきた矢を持ち帰ったのか。
そして、矢が男性になったらイケメンだってことでそのまま性交して妊娠、という流れが凄いです。
親も「え?結婚もしてないのに妊娠?」と驚くのですが、娘が事情を話せば「神の子ならいいか」と妊娠自体には納得。この親にしてこの娘あり。
      
      
古事記だけではなく、ギリシャ神話にも結構エロい描写が描かれています。
古事記とギリシャ神話の中には、不倫・浮気あり、同性愛あり、一夜限りの恋を中心とした性生活ありと、かなり性に奔放な神様たちの姿が。
世の東西を問わず、古代の書物には現代では考えられないような性描写がありますね。
      
      
      

     



中出し・妊娠 | 【2023-04-26(Wed) 07:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

昭和の初めまで日本女性にはショーツ・パンティ様式の下着を穿く習慣は無かった

     
日本の文化は、ノーパンティ文化である。
     
日本女性の性意識は、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。
     
勿論、明治新政府成立以後の急速な欧米化路線は、おおらかだった日本人の性意識を折に触れて変革させようと多くの禁令を乱発した事も事実で、性意識におおらかだった陰陽道や、暗闇祭りの性風俗の禁止などである。
     
しかしそれ以上に、穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用でガードした事が、日本女性の性意識を劇的に変えたのである。
     
昭和の十五年頃まで、日本女性には永い事ショーツ・パンティ様式の「穿く下着」を身に着ける習慣は無かった。
     
下着(ショーツ・パンティ)の着用が普及した時期は、千九百三十二年(昭和七年)の白木屋の火事で、確かに新聞の論説では「下着未着用の恥じらいの余り多数の女性が焼死した」と評される例の事件は、話題には成ったが実際には女性が一斉にパンツを穿く契機には成っていない。
     
時代的に一斉に穿く下着ショーツ・パンティ類を穿くのは先の大戦(太平洋戦争)の戦時中に、もんぺの下着として「ズロース」と呼ばれて普及した事が正解である。
     
劇的に変化したのは日本女性の性意識だけではない。
     
男性の性意識も、女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の着用で大きく変化した。
     
本末転倒な事に、中には女性の穿く下着(ショーツ・パンティ)の方に性的興味や性的興奮を覚える性としては邪道の感性を持った男性まで現れたのである。
     
本来日本の女性は、今で言うノーパンティが普通だった。
     
「呉服」に「腰巻」が普通の衣装だったからで、この着物は和服またはルーツを取って「呉服」と言う。三国史時代の中国・呉の国(蘇州・杭州)で作られた服装様式が、呉人と伴に日本列島に移り住んでその服装様式が渡って来た。
     
現在の 江蘇省(蘇州) 昆山市は呉の中心地で「日本の着物(呉服(和服))のルーツ」と言われている。
     
その「腰巻」だが、厳密に言うと安土・桃山期~江戸時代以前の高級武家女性の夏の正装として使用が始まり、江戸期~明治維新以後昭和初期以前には、現在の穿く下着(ショーツ・パンティ)の代わりとして広く着用されていた。
     
気をつけて欲しいのは、高級武家女性の間で「腰巻」が使用され始めたのが安土・桃山期であり、それまでは存在すら無かった事で、「腰巻」が一般的に使用されるようになったのは江戸期以後である。
     
つまり庶民は、江戸期までは「腰巻」さえ着用しなかったし、農漁村では江戸期もかなり後になってから漸く普及したのが腰巻使用の実体である。
     
数え年の十三歳を迎えた正月に祝った「腰巻祝い」の風習が文献に残っているが、あくまでも武家や裕福な町家、裕福な豪農の娘達の祝い事だった。
     
従って町場ならともかく農漁村の村娘の腰巻着用場面のある時代劇は間違いである。
     
何もミニ丈ファッションは洋風が元祖ではない。農漁村の娘は、ノーパンティに「腰巻」さえ着用して居ず、おまけに水田に入る事から丈が短い野良着姿が通常の服装であった。
     
野良着姿は木綿紬(つむぎ)の一重(ひとえ)か二重合わせの着流しで、水田作業の時は膝ぐらいまで裾をシッ端折(パショ)りして作業をする。普段でもそんな服装だから、野良着のすそが肌けて女陰が露出するケースが日常的で余り気にしては居ず、女陰が人目に晒される事に対する羞恥心は、当時の娘には「随分と薄かった」と考えられる。
     
股間が自由空間である開放的な服装は風俗に影響を与え、同時に日本では「女の性欲」が否定される事がなかったから奔放に性を楽しめた。何しろ女神様が天の岩戸の前でストリップを踊る誓約(うけい)の国である。日本人は歴史の大半を通じて性にたいへん寛大で、日本ほど性に開放的で、肯定的に「あけっぴろげ」な国はなかった。
     
不義密通は氏族の文化であり、卑猥な文化が繁栄した庶民には無縁のものだったのである。
     
こうした話をすると直ぐに「品が無い」とか「セクハラだ」とか言うが、この変革はあくまでも明治新政府主導の啓蒙に拠る対外的な世間体(欧米の対日評価)を慮(おもんばか)っての事だった。
     
しかし嘘も度重なると本当に思えて来るがごとく日本女性の意識が次第に変遷を遂げ、欧風化して行ったのである。
     
     
     
一夫一婦制は、重大な別の効果をもたらせた。
     
庶民が異性に対する独占欲を、強く意識する第一歩となったのだ。
     
そして、民間で見事に成立されていた「性教育システム」を崩壊して建前の中に蓋をしてしまった。
     
つまり、本来脳の別の部分で考えている「精神的愛情」と「性的衝動」を集合させ、「独占欲」と言う私権で括(くく)ってしまった。
     
その間(ハザマ)の中で、最近多発する「未成年にのみ性の興味が向けられる」歪んだ性を育てた可能性を否定できない。
     
それらが徐々に進んで「私権(私欲的個人主義)」の意識だけが、性の意識に限らず、金品などあらゆる物に及んで行くのだ。
     
現実に存在する人間の性衝動を、建前主義の絵空事で覆い隠して・・・・・・
     
現にこのギャップが、多くの事件の元になっている。
     
しかし、山間部の民や漁場の民は、昔ながらの「未開」の領域を「その制度の中におおらかに残していた」と言う事だろう。
     
「夜這い」に秘められた村人の思い・・・・それは素朴で優しく、隣人愛に富み、美しい。
     
その心情が失われて行く事を、文明の進歩とは「けっして言わない筈」である。
     
     
     

      



その他 | 【2023-04-26(Wed) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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