むしろ女性の方がセックスに積極的だった飛鳥・奈良時代
歴史における日本人女性には、大和撫子という言葉が象徴するように、「控え目、一途」というイメージがある。
しかし本書によれば、万葉集をひもとく だけでも、その時代(飛鳥、奈良時代)の女性がセックスに積極的だったことがわかるという。
例えば当時は、男性が夜の闇にまぎれて女性の寝床を訪問する「夜這い」は文化だった。
同時に、女性が男性にいつでも来てねと誘いをかける「妻問い」という文化もあったそうだ。
ちなみに本書によれば、夜這い文化の発祥は 、大黒様(大国主命)なのだそうだ。
また、奈良時代以降「歌垣」という集まった男女が歌を詠みあった後にフリーセックスを行う、今風にいえば出会い系パーティー(全国各地で開催された)が盛んだった。
そこにも、人妻も含め(なんと既婚者もOKだった)女性たちは積極的に参加した。
さらに平安時代の鵜坂社(現在の富山市にある鵜坂神社)には、「尻叩き祭り」というイベントがあったそうだ。
このお祭りでは、男性経験の数だけ女性が榊(さかき)の枝でお尻を叩かれるのだが、皆決して過少報告はせず、著者は「多くの男を経験することは、当時の女性にとって勲章だった」と記している。
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