「性母‥懐マス」
【些事:痴辱】
・後バレ筒抜け・と云う言葉が あるかどうかは判らないが、そうとでも…云うより無い 昔の辱しい思い出がある。それは ・その時点では 自分だけの内面的な秘密で、他人には 判りっこ無い・と思ったことが、後になると それは人間なら誰もが経験していることで、僅かな動作や表情からでも 容易に読み取れることだった…と云う・突然 丸裸で街頭に立たされた・ような、惨めな晒しものの 顔が熱くなる辱しさなのである。
話は近親相姦めいた 未遂?の話だが、それには個人的な事情と 時代の背景がある。勿論悪いのは 自分で無知で無恥な行為なのだが、それは私の少年期の終わり… 青年期の入り口での話である。他の記事にも書いたことだが 私は幼児期に父を亡くし、お袋は 女手ひとつで私を育ててくれた。それに十代の後半は 戦争末期の言論統制から、戦後もまだ 性の解放など行われ無い、性情報の 乏しい時代であった。
そのお袋も 大分前に亡くなったが、当時私は 十代前半の中学時代に精通を体験していたとは云え、まだ精神的には 子供だった。精通も 猥ノートの描写を盗み読んで射精したのだが、それは 頭の想像だけで、私自身 まだ身体で実際の女性との交接は経験してい無かったから、身体の芯から起こる 性の衝動に基づいたものでは無かった。話はそんな 赤ちゃんに毛が生えた程度の男が、寝床で お袋に甘えた処から始まる。
昭和二十年代には 私は十代後半だった。家は焼け出され お袋はある大会社の男子寮の寮母を遣りながら、その部屋の一つの六畳間に 私と住んでいた。私はいつも 部屋の奥に床を延べて早めに横になるが、お袋は 11時頃まで寮生が話しに来ることがあるので、床を取らず 私の布団の左側に潜り込んで、身体を休め ウツラウツラしているのが日常だった。そんなある日私はふと 隣で寝ているお袋の乳に触りたくなった。
戦災前は 私の家にはまだ自宅に風呂場が無く、銭湯に行くのに 身体が小さかったこともあり、中学の始め頃まで ときどきお袋と一緒に女湯に這入ることもあった。つまり私には お袋への異性意識は無いし お袋もまた小学生まで乳をシャブっていた私をいつまでも幼児扱いしていた。そんな情況である晩 例によってお袋が私の左側に寝ていた。私は 左側のお袋の方へ寝返って、横向きに まるで胎児のように丸くなっていた。
膝を屈め両コブシを胸の前に合わせて お袋を見上げると、そこには懐かしい胸がある。お袋は眼を瞑っているので そのままそっと右手を伸ばし、少し寛げている胸の合わせ目に手を差し込んだら、途端に 「バカ ねぇ…」と云われた。ビクッとして手を止め 少し上目使いにお袋を見ると、お袋は 怒っているので無く、ニコニコと 笑っている。なんだ そういうことか…と 奥まで手を入れると 懐かしい軟らかく温かい乳が触った。
そう… 思えばもう何年もこんなことをし無かったなぁ…と思う。お袋は真夏は アッパァパァと云っていたワンピースを着るが、その他の時季は 大概着物である。寝巻きは古い浴衣に 紐で無く、伊達巻と云う 細幅の柔らかい帯を締めている。そのときはまだ 本帯を解かずにいたので、胸は締まっていて 手は差し込むだけだったが、それでも素肌の胸は気持ち良く 私はそこに手を差し込んだまま、いつか 眠りに落ちて行った。
一度そんなことがあってからは 毎回では無いが、私は寝ていて触りたくなると 勝手にお袋の胸に手を差し込んで、お袋の軟らかい胸の感触に安らぎながら 眠ることが多くなった。その内あるとき 少し着付けが弛んでいることがあって、差し込んだ右手で 乳房を包むように触ることが出来た。そうなれば当然 右手の中指が乳首に触れ、その乳首を横に転がしたり回し撫ぜたりして 人差し指や薬指の間に挟んで弄くることになる。
その感触は 何故か気持ち良く、その内に私は それで安らぐよりも・その感触を 愉しむ・ようになった。あるとき ふと気が付くと、その最中に お袋の乳首が固くツンと立っていて、その触った手応えが また堪らなかった。触りながら ソッとお袋の顔を窺うと、眼を瞑り 固く口を結んで寝ている。まあ 寝ているのならイイか…と、私はそのまま指先で ・お袋の知ら無い 私だけの勝手な愉しみ・のツモリで手を動かし始めた。
私も結婚後は 女房の乳房の反応を見たり、また他の女性の 自慰の告白を読んだりして、女性の乳房は 弄くられて平気なほど鈍感じゃ無い…と云うことが判ったが、自分が性的に未熟 という時期は怖いものだった。そのときは全く ・眠ったお袋の乳で 密かに愉しんで・いたツモリなのだから浅ハカである。ただ一回 その最中に、お袋が額に皺を寄せ 息を荒く口を半開きにしたので・妙だな…・と思ったことはあったが…。
そんな・私だけの 密かな愉しみ・(のツモリ)は 更にエスカレートする。他の記事にも書いたが 私は精通後にマス…それも・布団への 擦り付けマス・が常習化していた。それまで流石に お袋と同衾しているときは控えていたが、あるとき お袋の乳首を弄っている内にペニスが固く勃って来るのに気付いた。そうなればもう 右手をお袋の懐に入れたまま、身体をうつ伏せにし ・擦り付けマス・をするより無いではないか…。
当時の私は頭で ・お袋は女だから 男の生理…、それも マスの掻き方など判るまい・と思っていた。しかしこれも 結婚してからの実感は、この世に 私が存在すると云うことは、・絶対に 親父とお袋がシコシコ腰を使った・結果 なのだ。お袋がこの・擦り付けマス・を見れば ・アッ マスだ!・と判る筈なのである。その上お袋は 別項の「貞節」のように、自分もあのリズムでマスを掻いて 気持ち良くイッていたのである。
だから この話はこうなる。始めお袋は こう考える。息子が十代後半になって 自分の乳に触って来た、・しょうが無い 子だねぇ…・・でもそう云えば 何時から触ら無くなったのかしら…、ま…いいか 少し経てば本当に、もうこんなことは 出来無くなるんだし…・・アッ…イイ気持ち 乳首が立って来ちゃった…、でも息子は子供だし まだ女の生理は判ら無いだろうから…寝たフリをして…、アッ… もう濡れて来ちゃったじゃ…・。
・アァ…ダメ あたしも アソコが弄りたくなっちゃったじゃない…、あらイヤだ この子オチンチンを布団に擦り付けているわ…・・だけど親子ねぇ… 死んだお父さんに腰の使い方がそっくりで…懐かしいわ・・あぁら… 息を荒くしてもうイクのね…、子供だと思っていたら 何時の間にかこんなことを覚えて…・・そう… あたしもシタイ…、この子と一緒に… 今なら一緒にイケるわね・・アッアツ…そうよ… あたしも今…アゥッ…・。
この話はまず イイ年で母親の乳房を欲しがる息子のマザコンが浅ましい。それを好きに弄らせている 母親もオカシイ。その上 スッカリ筒抜けなのも知らず、お袋の乳首を転がして・擦り付けマス・に夢中の私自身が スゴク辱しい。そして息子の指で乳首を立てて 恐らく絶対に濡れていた筈のお袋…。まぁ… 一緒にイッたは妄想だが、もしそこまでヤッて呉れたのなら、長い空閨への僅かな代償で 少しは気も休まるのだが。◇
(ブログ「茫々録・走馬灯」より)
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