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妻が卑猥な露出プレイで躾けられていたことが・・・あらすじ

浮気の発覚で妻(優子)が卑猥な露出プレイで躾けられていたことを告白した。
そして結婚前の男関係も含む全てを話すことを条件に許しを乞わせた。

優子は現在38歳、私は39歳、子供一人の三人家族である。

優子には高校時代にナンパされ、数人から輪姦された過去がある。
輪姦された後も写真をネタに複数の男の共有物として、男の欲望の捌け口として躾けられ、
女であることを教え込まれたのだ。

短大時代はオナニーにはまり、毎日の様にオナニーに明け暮れ様々な趣向を凝らした
オナニーをしていた様だ。

短大を卒業した後は、旅好き、話好き、接客好きと言うこともあり大手観光バス会社に
バスガイドとして就職した。
宿泊を伴うバスガイドの仕事であるから、必然的に運転手と酒を飲みながらの夕食は常であり、
添乗員からの食事の誘いや観光客からの誘いも結構多かった様である。
またプライベートタイムでは、固定顧客(企業・団体)との合コンも数多く開かれていた。
高校時代から女の悦びを教え込まれていた優子は、社会人になっても様々な男の性欲を
受け入れ様々な経験をしてきたことは言うまでもない。

優子と私の出会いは団体顧客の一員として出た合コンの場である。
当時の優子は女優の壇蜜 の様な色気を漂わし、活発でしゃべり好きな
男好きする女で、同僚も認めるサセまんであったのだ。
優子は合コンに結構な頻度で駆り出され、お持ち帰りもされていたらしい。
その時の合コンには私の勤務する会社の社長(50歳)が代表として参加していた。
もちろん自称独身としてであり、妻がいるにも関わらず無類の女好きである。
そしてその時の合コンで社長は優子をお持ち帰りし、それ以降は優子を自分の女にしていた。
社長は優子には既婚者であることを白状し、小遣いをやると言って囲っていたのである。
社長は私や他の社員をよく飲みに連れ出したが、途中から優子を呼び出しては社長や我々の
接待みたいなことをエロい服装で優子にさせていた。

私はそれから一年ほど経って優子と結婚したのである。
この時には私は立派な寝取られM男となっていたのである。

結婚後まもなく子供が出来てバスガイドを辞め子育てに専念した。

現在は子育ても一段落し、生保に勤める優子の友人(ガイド仲間である)からの誘いで、
生保営業の仕事をしている。
生保営業の仕事をしようかなと相談があった時、私はいいよとすぐ了解を出した。
結婚して15年。妻というより母親として見ていたし、当然マンネリ状態で優子とはSEXレスの危機的な
状態であった。
生保のことはいい話は聞かなかったし、優子の友人もご多分に洩れずエロい。
ミニスカパンチラ、胸谷チラ見せは当たり前みたいな友人なのだ。
客との枕営業の話はよく耳にする。
にも関わらずなぜ優子が生保営業をすることに了解したのかって?
気付いてはいたのだが優子と付合ってたいた当時、二股が三股が発覚し告白させたことで
怒りよりも昂奮が優ってしまい、より愛おしさを優子に感じるM男になってしまったのである。
その頃の優子を再びとの思いが、生保の仕事をさせたいと思わせたのである。
客からエロい視線で優子を舐めるように見られたい...
契約を盾に身体を要求されたい...
他人に優子のまんこを使いまくられたい...

仕事を始めてからは子育てに専念していた頃と違い、色気も元に戻りご近所の旦那さん方からは、
「奥さんプロポーションも良いし、色っぽいよね、、30歳代前半ぐらいにしか見えないよ」
とよく言われていた。
仕事を通して男のエロい視線に晒され、身体が目覚めたと言う感じだ。

そして私の願い通り、優子は男の獲物として玩具にされている。そしてまた告白させた...

この投稿は高校時代の輪姦から現在までを、妻の告白に基づいて妻の視点からの感情も表現しながら
何章かに分けて綴りたいと思ってます。
文才などない私が綴るなどと生意気ですが妻のことを知られたいM夫の告白として読んでください。

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幼馴染・親友・友達 | 【2021-03-10(Wed) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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