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プチトマトのまゆちゃん

第一章「運命の出会い」
※まだ全然仕上がってはいませんが、とりあえず書き上げたものから順にアップしたいと思います。
なお、この作品は全くのフィクションです。特に、設定等に大幅な独自解釈を加えてありますので、違和感を感じる方も多いと思いますが、あくまでも「小説」ということでご理解くださいますようお願いいたします。
1.ねがい


 1979年(昭和54年)5月16日。
 この日の千葉は、穏やかな初夏の気候を見せていた。
 「あぁ、どないしよ、もう5月も半ば過ぎてるやない・・・」
 千葉駅前からまっすぐに延びる大通りに面した「ニューナラヤ」に、そうつぶやきながら、初老の女性が入っていった。その服装は女性らしさのない、何の色気もないスーツスタイルではあるが、着こなしにはどことなく気品が漂い、まるで「男装の麗人」のような佇まいを、彼女に与えていた。
 彼女は、純子という写真家だった。報道写真から写真家への道を歩んできた彼女だったが、その頃力を入れていたのは、美しい少女のヌード写真をを題材にした「詩画」風の創作活動であった。
 前例の少ない分野での挑戦に、最初は理解を示す者は少なかった。それでも純子は、必死に協力者を探し、発表の場を求め続けた。まるでそれが、自らに与えられた「使命」であるかのように。
 そして、数年前にようやく版元が決まり、また、バックアップを快諾する新聞社もつき、それによって念願の作品発表が実現してからは、毎年1作ずつ新作を発表すべく、創作活動に一層力を入れるようになっていたのである。
 「夏が終われば、今度のテーマは難しいやろしなぁ・・・。そうなったら、フジアートさんのご好意も、全部水の泡やわ」
 純子は焦っていた。再来年に発表する予定の作品に使う「モデル」が見つかっていなかったからであった。
 「今までが順調すぎたんかもしれへんわ。ヌードなんて、ポルノみたく扱われても詮無いモンやろから、親御さんがそう思てはるんやったら、可愛い我が子をそんなんにしとうおまへんやろ。そもそもうちは、ヌードにやらしい意味なんて考えておまへんのやけどなぁ・・・」
 そう言いながら、純子は「『野菊のような少女』展」の会場に足を運んだ。来年は、犬と戯れる少女を追いかけた作品を既に用意している。しかし、その次の年に発表する作品は、「モデル」がいないために、製作の目途が立っていない状況だったのである。
 既に、純子の中でテーマは決まっていた。
 「2人にする、いうんは無理やったんやろか・・・。でも、今の状況やったら、1人でもヌードになってくれるゆう子がいれば、それで万々歳やろしなぁ・・・」
 誰もいない寂しげな海岸、過ぎ行く夏、少女の時期を惜しむように、そして、互いの気持ちを確かめ合うように、潮風を受けながら戯れる2人の少女、そして、再び訪れた夏、明るい日差しの下で、無邪気な少女の中に「女」の顔を覗かせながら、少女たちの成長を追う、そんなストーリーを、純子は思い描いていたのである。
最初のロケの場所はもう決めている。鳥取砂丘。かつて訪れたときに感じた、その広大な、時間によって刻々と変わる自然の表情、そして、全体を通して漂っている寂寥感。思い描く風景そのものだった。
しかし、それを現実にするには、今年の夏には、「モデル」を連れて撮影に行かなければならないのである。
「もうこうなったら、展覧会のお客さんにダメモトで声かけよか。展覧会見てくれはるゆうんは、ヌードに理解もある、ゆうことやろし・・・」
純子は、手を腰に当て、そう一人ごちながら、控え室に入っていった。


2.笑顔の行方


 「ねえ、マリちゃん、見て見て!」
 「ニューナラヤ」の前に、そう言ってぴょんぴょん飛び跳ねる、制服の少女の姿があった。
 「マユちゃん、どうしたの?ナラヤで何か面白そうなことやってるの?」
 ぴょんぴょん飛び跳ねる少女に「マリ」と呼ばれたのは、やはり同じ制服を着た、同じぐらいの年頃の少女だった。
「マユ」と呼ばれた少女は、髪を短く切っていて、くりくりっとした目が可愛らしく、ややぽっちゃりとした体型も相まって、元気な可愛い女の子、という印象が強かったが、マリのほうは、髪は肩まで伸び、よく似た目をしているものの、マユよりは痩せていて、可愛らしい、というよりも、大人しい美少女といった雰囲気を漂わせていた。
「ほら、『野菊のような少女』だって、私みたいじゃない?」
マユはそう言って、ちょっとすました顔をマリに向け、微笑んだ。その笑顔は、無垢な天使のようであったが、マリは大きくため息をついてこう答えた。
「マユちゃんは野菊じゃなくって、どっちかと言えばひまわりよ」
マリの言葉に、マユはむすっとして、
「何か、みんなそんな風に見てるんだよねぇ・・・。私だってかよわい女の子なのに、クラスの男子は女だと思ってないみたい。ちゃんとおっぱい出てるんだからね!って言ってやりたいぐらい」と言った。
「・・・マユちゃん、女の子はあんまりそんな、その、おっぱいなんて言わないほうがいいよ。男子なんてほっとけばいいのよ」
マリは、困ったような表情をしながら、マユにそう言った。
「それにしても、どんな子なのかな?『野菊』みたいな子って・・・、って、マリちゃん、見てよ、これ、『ヌード』って書いてあるよ!すごぉい、だって、この写真の子でしょ?私たちと同じぐらいじゃない?」
マユは、ポスターをまじまじと見ながら、興奮した口調でしゃべっていた。マリは、その勢いに押されるように、ポスターを覗き込んで言った。
「本当、すごいなぁ・・・。南沙織の相手の人がヌードを撮る人だって聞いたとき、『え、ヌード?』って、何かエッチな感じがしたなぁ。でも、ナラヤみたいなところでも、ヌードの展覧会をするんだ・・・」
マユの興奮を抑えきれない口調とは正反対の、努めて冷静な物言いだった。
「ねぇねぇ、マリちゃん、見ていこうよ」
マユは、おもむろにマリの方に振り返り、満面に笑みを浮かべてそう言った。マリは、まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような、きょとんとした表情を見せて言った。
「・・・マユちゃん、こういうのって、男の人が見るもんじゃないのかなぁ?それに、私たちまだ中1だし、入れてもらえないんじゃない?」
そう問われると、マユは、
「平気だよ、マリちゃん。だって、どこにも『未成年お断り』なんて書いてないし、私たち、この子と同じ女の子だし、お風呂屋さんで会ってたら、裸ぐらい普通に見るじゃない。気にすることないよ。それより、どんな感じなのか、興味ないの?」と言って、微笑みを浮かべたまま、小首をかしげた。その顔を見て、マリは一瞬上を向いて、すぐにマユの目を見つめて言った。
「うん。ちょっとだけ、見てみようか」
マリの顔にも、マユと変わらない、天使のような微笑みが浮かんでいた。
二人の微笑みが、やがて「世紀の傑作」を左右することを、2人はまだ知らない。


3.空も飛べるはず

 会場となっていた催事場は、初日ということもあり、水曜日ながら盛況であった。ギャラリーの傍らでは、写真集の販売と、その作者である純子と著名な作家のサイン会もセッティングされ、純子はその席に待機していた。
 席からは、催事場の入り口が見渡せるため、純子は、来場する顔ぶれをいちいち確認しては、深いため息をついていた。
 「うぅん、やはり今日はあきまへんなぁ。まぁ、水曜日にそう都合よく丁度『モデル』向きな子が来るわけないんやろな・・・。親子連れが多い日曜日を待って・・・」
 頬杖を突き、机にサインペンをコツコツと叩きながら、そう考えはじめていた純子の手が、急に止まった。純子の目は、会場の外に見えた2人の少女に釘付けになっていた。
 「むむ、予想通りだけど、やっぱお兄さんばっかだね」
 入り口の前で、マユは眉間にしわを寄せ、口を尖らせながら言った。マリは、目の前にいる男の群れを見て、息を呑むだけだった。
 「藤本はん、ほんま悪いんやけど、ちょっと席立たせてもらえへん?お客さん来たら引き止めといて」
 純子は顔を入り口の方から離さずに、隣に座っていた作家にそう言ったかと思うと、やおら席を立ち、会場の外の方へ走り出した。
 「いた!偶然にしては、できすぎや!えらい可愛らし子が、それも2人揃っておるなんて!うちに神さんが味方してくれはったんやろか!」
 会場の外では、マユとマリが、依然として入場を躊躇していた。
 「やっぱり、私たちみたいな子どもが来るところじゃないのかも。どうするの?マユちゃん」
 マリは、思い切り不安そうな表情で、マユの顔を覗き込んだ。
 「子どもじゃないわよ。だって、国鉄だって、バスだって、みんな大人料金取るじゃない?私たちはもう、大人なのよ。全然平気よ!」
 マユはそう言って胸を張ったが、
 「マユちゃん、平気って言う割には、顔が引きつってるよ・・・」と、マリに指摘されると、しゅんとなって肩を落とした。
 「へへ、そうなんだよね。やっぱ最後の勇気が出ないというか、ちょっと緊張しちゃってるのよ」
 その時、入り口の中から、ものすごい形相をした「おばさん」がこちらに向かってきた。
 「お嬢ちゃんたちぃ、うちの展覧会、見に来はったんやろかぁ?」
 「ま、マリちゃん、何か、凄い感じのおばさんが、こっち来てるよ・・・」
 マユはそう言うのが精一杯だった。マリに至っては、マユの後ろに隠れて、言葉も出せなかった。
 純子は、2人の前に立つと、胸ポケットから名刺を取り出した。
 「うちの写真展にようこそ。うち、こう見えて写真家なんやわ。よろしゅう」
 「清岡・・・ジュンコさん?」
 今まで言葉も出せなかったマリが、やっとの思いで声を振り絞った。
 「あ『ジュンコ』ちゃうわ、うちのは『スミコ』いうのんや」
 純子がそう言うと、マリはあっと言う表情を見せ、口に手を当てた。
 「で、写真家さん、私たちにどんなご用なんですか?」
 マユは、訝しそうに純子の顔を見上げて言った。純子は、にこにこと笑みをたたえたまま、
 「お嬢ちゃんたち、うちの『モデル』にならへん?」と言った。


4.瞳そらさないで

 純子の言葉に、マユもマリも驚きの表情を見せた。
 「・・・あ、あのぅ」
 先に声をあげたのはマリだった。
 「『モデル』って、写真のですよね?・・・もしかして、ヌード、ってことですか?」
 上目遣いをしながら、そう言って純子の方を見た。
 「あぁ、そんな身構えることやないよ。もちろん、ヌードもそうやけど、うちの今考えてる『作品』にピッタシの、お嬢ちゃんたちの可愛らし雰囲気を撮りたいんやわ」
 純子は、相変わらずにこにことしながら、ゆっくりと、柔らかな口調でそう話した。
 「お嬢ちゃんたちを遠くから見つけて、何ていうか、他の子たちと違う何かを感じたんやわ。うちの『作品』を、お嬢ちゃんたちのその可愛らし雰囲気で表現したら、ほんま、素敵な『作品』になるんやないやろか、って思たら、何や、体がひとりでに動いてもうたんやわ。ヌードはそない心配することやあらへんよ。誰だって、そら最初は緊張するもんやし。でも、うちの撮った子たちは、みな、喜んでくれはってるんよ。それは『作品』やからかな。そこいらにあるような、嫌らしモンとはちゃいますのや。・・・そや、こないなとこで聞くだけやのうて、まずは、うちの『作品』を見てもらって、それから判断してもらったほうがよろしやろなぁ。そなら、おいでや」
 純子はそこまで言うと、2人に背を向け、会場の中へ進み始めた。
 「ねぇ、マユちゃん、どうするの?」
 マリは、マユの耳に手をあて、小声でささやいた。マユは、ぺろっと舌なめずりをしてから、マリにこう答えた。
 「とりあえず、行ってみようか。何か入り辛かったのが、いい理由ができてよかったじゃない」
 マユの言葉に、マリは驚いた顔で言った。
 「でも、ヌードはムリよ・・・。このままずるずると説得されたらどうするのよ」
 すると、マユはにっこり笑いながら、
 「そんなの、写真を見てから決めればいいのよ。どうしても嫌だったら、やめればいいんだし、いいな、って思ったら、チャレンジしてみればいいんだし。見てみなきゃわからないでしょ?」と言って、純子の後を追うように進み始めた。
 「マユちゃん、待ってよ」と、慌ててマリもついていった。
 マリも、内心はそう思っていた。自分と同じぐらいの少女の「ヌード写真」には、とても興味がある。けれど、自分がヌードになる、ということには、強い抵抗感があった。
「自分の裸は、他人の目から見てどうなんだろう?」
マリもマユも、中学生になったばかりである。ほんの2ヶ月ほど前までは、小学生だった。男の人が、性的な対象として女性の裸を見ているということが、何となく分かりだしたばかり。ましてや、自分がそういう対象になる、という発想など、つい最近まで全くなかった。
それは、マユも同じだった。マリと一緒に風呂に入ると、どうしても自分の胸が気になってしまう。マリの小ぶりな胸に比べ、自分の胸は12歳にしては大きい。最近はブラをつけるようになったが、小学生の頃はずっとノーブラで、何も気にせずに男子と同じ部屋で着替えをしていたのである。その頃は何とも思っていなかったが、今になって考えると、どう見られていたのだろう、ということばかりが気になるのだ。
 そんな思春期特有の興味が、2人を会場の中へ押し入れていったのだった。


5.突然

 「お嬢ちゃんたち、うちの『作品』や。どないやろか?」
 純子は、そう得意げに言った。マユとマリの目の前には、自分と同じぐらいの年齢、もしかしたらもっと小さいかもしれない女の子の笑顔があった。決して絶世の美女とは言えない、どこにでもいそうな素朴な雰囲気の少女だったが、どの写真も、綺麗で、楽しげで、その笑顔は心から出ているものだ、という感じがした。服を着ている写真も、着ていない写真も、それは同じだった。むしろ、ヌードかヌードじゃないか、そんなことはあまり関係ない、とまで2人には思えたのだ。
 「楽しそう・・・」
 最初につぶやいたのは、マユだった。
 「そやろ?そもそも『ヌード』なんて身構えるから、この子の素晴らしい瞬間が理解でけへんのや。うちは、可愛らし女の子の、素晴らしい瞬間を切り取って、そして、それを『作品』として発表することで、その可愛らしさをみんなに伝えたいだけなんやわ」
 純子は、我が意を得たり、といった表情で、2人に語りかけた。
 「そういえば、お嬢ちゃんたちのこと、全然聞いてへんかったわぁ。お嬢ちゃんたちは、同じ学校のお友達?」
 純子の問いかけに、マリが答えた。
 「私たち、双子なんですよ。私が『姉』のマリで、こっちのマユが『妹』。二卵性なんで、初めて会った人はみんな、双子だとは思わないみたいですけどね。見てのとおり、顔も、体も、それに性格も、全然双子じゃない、って友達によく言われるんです」
 それを聞いて、純子は目を大きく見開いた。
 「ほんまかいな。じゃ、2人のお父様、お母様は同じ、てことや・・・、って、当たり前やね、うち、何言うてんのやろか」
 純子はそう独り言を言いながら、我が身に起きた幸運を喜んでいた。
 少女を「モデル」として使う場合、必ず「保護者の同意」が必要になる。純子の場合、ヌードを撮ろうとしているのだから尚更である。2人のモデルを使おう、と構想した段階で、最も気になっていたのがこの「保護者の同意」だったのである。
 「それぞれの親に交渉せなあかんからなぁ・・・」
 それが頭にあったからこそ、純子は焦っていたのだった。
 だが、目の前には、同じ両親から生まれた、しかも双子ということで同じような年恰好、かつ二卵性のためぱっと見には双子とは思えない2人の少女がいるのだ。これが神の助けでないというなら、何という強運なのだろう。
 「どや、興味出てきた?」
 こみ上げる思いを抑え、純子はそう尋ねた。
 2人は、しばらく黙ったままだった。
 沈黙を破ったのは、マユのほうだった。
 「私、こういう感じで撮られるんだったら、ヌードもいいかも」
 その言葉を聞いて、驚いた表情を見せたのはマリだった。
 「本気で言ってるの?自分の裸が、みんなに見られちゃうんだよ?」
 だが、マユは、そんなマリの言葉を聞き流し、足元に視線を落としながら、ぽつぽつと話し始めた。
 「私だって、女の子なんだ、って、証明できるでしょ?裸を見られるのは恥ずかしいけど、クラスの男子に、目の前でシャツのボタンを開いて、おっぱいを見せるわけじゃないんだし」
 そこまで言うと、マユは顔をあげた。
 「それに、この先生、すごく綺麗に撮ってくれそうだから」
 その顔は、まさしく天使のような、穢れのない微笑をたたえていた。


6.揺れる思い

マユの決意を目の当たりにして、マリは戸惑っていた。
 自分は、はっきり言って裸になる自信がなかった。確かに、ここに飾られている写真の子も、子どもの幼さを残しているわけだし、だからこそ、こうやって瞬間を切り取ると、普通の子なのに、とても素晴らしい「絵」になる、ということは理解できた。
 しかし、それ以上に、誰かに自分の裸を見られる、ということに対する恐怖心を消せないでいるのだ。
 それなのに、マユはヌードになる決意をしてしまった。
 マユだって悩んで決めたこと、それは分かっている。常々から「女の子に見られていない」ということに不満を持っていたようだから、「女の子だと証明する」という気持ちになるのも分かる。
 ただ、マリには、そんな動機はない。
 マリは、心の中で、こう叫んでいた。
 「もう、マユちゃんの馬鹿。双子だ、って言っちゃってるんだから、マユちゃんが『ヌードになる』って決めちゃったら、私だって一緒に、って言わなきゃならないじゃない。まだそんな、心の準備もできてないんだから、もうちょっと待っててくれてもよかったのに・・・」
 「お姉ちゃんは、どう、考えてくれた?」
 不意に純子にそう尋ねられ、マリは思わず「えっ!」と声をあげてしまった。
 「あ、ゴメンね。考え中やったか。・・・そうやね、そら真剣に考えるわね。えらい大事なことなんやから」
 純子はそう言って頭を掻いた。
 「マリちゃん、まだ迷ってる?」
 マユは、心配そうな表情でマリの顔を覗き込んだ。
 「うん、やっぱり、裸を見られるのは恥ずかしいよ・・・」
 マリは、泣きそうな顔をマユのほうに向けて話した。
 「あらら、どないしよ。そや、ほら、うちの『作品』をいつ発表するのか、言い忘れとったねぇ。お嬢ちゃんたちの『作品』は、再来年に発表する予定で考えてるんや。せやから、今すぐ恥ずかしい、ゆうことはあらへんから、心配いらへんよ、な」
 純子は、そう言って、マリの気持ちを落ち着かせようとした。
そんな言葉ぐらいで、羞恥心がなくなることがない、ということは純子自身がよく知っている。土壇場でヌードを拒否され、撮影が中止となったこともあったのだから。それでも、そんな言葉をかけなければならない、という気持ちにさせたのは、マリの表情があまりにも緊迫していたからだ。
「マリちゃん、ゴメンね、私が何も考えずに、勝手に言っちゃったから・・・」
マユは、申し訳なさそうな顔をして、下を向いた。
いつもそうだった。思慮深いマリに対して、思い切りのいいマユ。マリがまだ決めかねている段階で、既に決めてしまっているマユ。時には、乗り気ではないマリを強引に巻き込んでしまうこともあった。
「私って、何でいつもこうなんだろう・・・」
マユは、思い切りのいい反面、喜怒哀楽をストレートに表現してしまうところがある。その時の気持ちで、表情がクルクルと変化していくのだ。
マユの表情が、みるみる曇っていった。まるで、太陽が雲で顔を隠していくかのように。


7.いちばん近くにいてね

 結局、展覧会場ではマリが翻意することはなかった。
 「詳しいことは、後日改めてお宅へ伺って決めるから」
 純子はそう言って、サイン会の会場へ戻っていった。
 その日、家に帰るまでの間、マリと何を話したのか、マユは覚えていない。
 その夜、家で顛末を話すと、サラリーマンの父親はとたんに不機嫌になった。しかし、母親は意外にも乗り気で、純子に会うのを楽しみにしているようだった。
 数日後、約束どおり、純子はマユたちの家にやってきた。
 両親に写真集を見せ、純子の思い描く「作品」の芸術性、少女写真の素晴らしさなど、熱弁の甲斐もあって、両親は撮影に同意することになった。
 となると、問題は未だ「ヌード」に抵抗を感じているマリのみである。
 「マリちゃん、先生を信じて、やってみようよ」
 マユはマリにそう訴えかけた。必死だった。
 双子である、ないに関係なく、マリはマユにとってたった一人の「姉妹」である。今まで、思い出の全てのシーンで、マユはマリと一緒だった。初めての旅行、幼稚園の行事、下校時のちょっと寄り道、涙が溢れた卒業式・・・。
そんなマユにとって、マリは「いつも隣りにいる存在」である。そのマリが、マユと行動を共にしないかもしれない、ということは、マユを不安にさせた。
 実はマユだって、裸を不特定多数に見せることに、少なからず抵抗はあるのだ。自分の体を、嫌らしい目で見る人がいる、ということを想像すると、裸になどなれない、と思ってしまう。
ただ、純子の「作品」を実際に見て、そこから嫌らしい発想を持つようには思えなかったため、「そんなに嫌らしい人の目には触れないはず」と自分に言い聞かせて、何とか意思を保っている、といったところである。
「ねぇ、とりあえず、ロケに行くだけ行ってみようよ」
マユは、マリに優しく語りかけた。
「私は、もう、ヌードになる、って言っちゃってるから、ロケ自体は成立するはずなの。それを見て、マリちゃんが自分で判断すればいいんじゃないかな?そうよ、旅行だ、って思えばいいのよ!鳥取なんて、行ったことないじゃない?どこまでも続く砂の山って、聞いただけでロマンチックじゃない?それを見に行くだけ、って思えばいいじゃない」
マリは、マユの言葉に小さくうなずいた。
「そうだよね。マユちゃんの言うとおりだね。先生に、まだ決めかねてるけど、それでもいいですか?って聞いてみないといけないとは思うけど、行ってから決めても、遅くはないんだよね。何だか少し安心したわ。ありがとう、マユちゃん」
そう言ったマリの顔には、微かに笑みが浮かんでいた。
それを見て、マユはなぜか急に、涙がこみ上げてくるのを感じた。
「何で?何で涙が出てくるんだろう・・・」
マユは自分の無意識の反応が、理解できずにいた。
マリが「行ってから決める」とロケ行きを決意してくれたことで、マユの中に残っていた、マリと別々になってしまう、という不安が、少し小さくなった。だからこそ、マユは涙を流しているのだ。
緊張の糸が切れ、それまでこらえていた涙が、堰を切ったように溢れてきたのである。
マユの涙を見て、マリもまた涙を流した。もちろん、悲しいという意味ではなかった。
その夜は、幼い日のように、一つのベッドで、2人手をつないだまま、眠りについた。手だけではなく、お互いの心もつながっている。そう、実感した夜だった。



第二章「天使降臨」
※ようやく第二章があがりました。仕事が忙しくなってきたため、第三章以降のアップが相当遅れてしまいそうです・・・。
なお、この作品は全くのフィクションです。特に、設定等に大幅な独自解釈を加えてありますので、違和感を感じる方も多いと思いますが、あくまでも「小説」ということでご理解くださいますようお願いいたします。

1.負けないで


 8月19日。千葉から鳥取への長い長い行程を終え、マユとマリ、そしてその母はようやく鳥取砂丘近くのホテルに投宿した。
 「お疲れさんやったねぇ、今日はもう遅いし、ゆっくりしたらええわ」
 東京から合流した純子が、ホテルのロビーで汗を拭きながらそう言った。
 「やったぁ、じゃあ、ご飯までの間、お風呂にいこうよ、マリちゃん」
 マユは明らかにはしゃいでいた。
 ヌード撮影ということを抜きにすると、今までこんなに遠いところに来たこともなかったし、父親抜きの家族旅行も初めてだったから、ということも大きいだろうが、それ以上に、マリが一緒にいる、ということ、これこそが、マユの気持ちをはやらせていたのだ。
 結局、マユに引っ張られる形で、マリも一緒に大浴場に向かうことになった。
 マユに手を引かれながら、マリは明日からのことを考えていた。
 「本当に、これでいいの?」
 マリは、深く思い詰める性格だった。マユに言われたように、明日、マユの撮影を見てから、自分も撮影されるか、やめるかを決める、という決意をして、この山陰の地までやってきたわけだが、いざその舞台が近づいてくると、その判断で本当によかったのか、という不安が頭をよぎってくるのだ。
 「ねぇ、マユちゃん」
 マリは、不意にマユの手を引っ張り返した。
 「どうしたの?」
 マユは、振り向いてマリの顔を見た。マリは、伏し目がちに視線をマユの足元に向け、黙っているだけだった。
 「あ、分かった。明日のこと、心配になってきてるんでしょ?マリちゃんって、いっつもそうだよねぇ。どうしようどうしよう、ってなっちゃうんだよね。でも、私も不安なのは一緒だよ。きっと何とかなるって」
 マユがそう言っても、マリの顔にはまだ迷いの色が見えた。マユは、大きく息を吐き出すと、おもむろにマリの手を引いて走り出した。
 「ちょ、ちょっと、マユちゃん、危ないよ、どうしたの?」
 マリがそう言っても、マユは返事もせず、走り続けた。
 やがて、大浴場の脱衣所にたどり着いた。
 「マリちゃん、脱いでみて」
 マユは、真顔でそうマリに話しかけた。マリは、訝しげな表情を見せた。
 「ちょっと待ってよ。いくらヌードになるのを迷ってるからって、それは撮影の話で、マユちゃんの前で脱げない、ってことじゃないのよ?いつも一緒にお風呂入ってるじゃない」
 「そんなの分かってるよ。いいから脱いで」
 マユはそう言うと、マリの浴衣に手をかけた。マリはびっくりして一歩後ずさりをしたが、
 「わかったわよ、脱げばいいのね?」と、自ら帯を解き、浴衣をはだけて床に落とし、下着を脱いで裸になった。
 「マリちゃん、そこの鏡の前に立って」
 マユが指し示す先には、大きな鏡が立てかけてあった。マリは、その前に立ち、鏡に映し出された自らの白く透き通るような肢体を直視した。
 「マリちゃんも、私も、今お風呂に入っていったおばあちゃんも、みんな同じ『女』よ」
 マユは、マリの後ろから鏡の中のマリに向かって言った。マユもまた、浴衣を脱ぎ、日に焼けた部分と水着の跡とがきれいなコントラストを描く、豊かな体を見せていた。
 「そりゃ、色も違うし、体つきも全然違う。顔も違うし、みんな同じ人なんてそれこそ双子ぐらい・・・って私たちも双子か、はは。でも、みんなそれぞれ、人にはない何か、すごくいい所を持ってる、私はそう思うんだ。私は、マリちゃんが羨ましいよ。すごく女らしい、やさしい感じで、私が男の子だったら、きっとこういう人を好きになるんだろうな、って思うんだ。だから、もっと自信を持とうよ」
 マユの言葉に、マリは、
 「・・・うん、そうだよね」と答えるのが精一杯だった。


2.ひとりじゃない


 20日。ややうす曇ではあったが、まずまずの天気。
 午前10時から、撮影は始まった。
 「そしたら、始めよかぁ。お母様、マユちゃんのお洋服、持っててあげてくださいねぇ。そうそう、写らないよう、ちょっとだけ下がって。わぁ、マユちゃん、すごいおっぱいやなぁ。もうお姉ちゃんや。最高やね。」
 純子が、口に手を当ててそう言った。その視線の先には、今まさに羽衣を脱ぎ捨てた、穢れのない天使の姿があった。
 「マユちゃん、綺麗・・・」
 純子の斜め後ろからその様子を見ていたマリは、目の前のマユの姿に、思わずため息をついた。
 人間の体が、それも、普段一緒にいる身近な存在の裸が、これほどまでに美しいものであった、ということが、まず意外だった。
 「綺麗やろ?それはな、今はあんまり顔出してへんけど、お天道さんの照らしてる下やからやわ。うちが、お外でのヌードにこだわってるんも、こないに綺麗になるからなんやわ」
 純子は、カメラのファインダーを覗き込みながら、マリにそう言った。そして、
 「もちろん、マリちゃんもきっと綺麗やろなぁ」と続けるのを忘れなかった。
 純子は、過去の経験から、マリを説得するには、とにかく何度もおだてて、乗せていく以外にない、と考えていた。
 特に、純子には、マリはマユにコンプレックスを持っているように見えていたため、マユのいいところばかりを強調して、マリの自信を揺らがせるようなことにはしてはならない、と感じていた。
 しかし、一方で、ファインダーの向こうにいるマユの気持ちを高ぶらせるためには、マユが時折見せる「女」の部分を強調してやるべきだ、とも思っていた。
 マユは喜怒哀楽をストレートに表現する少女である。また、マユはどうやら自分が「女」である、というアイデンティティに目覚め始めている。
 そんなマユに、下手に「元気そう」とか「すごい日焼けやな」とか言わないほうがよい。逆に、胸の大きさや表情、仕草などを捉えて「女」を強調してやらなければ、と考えていた。
 「えらい矛盾やなぁ。でも、バランスよくやっていくしかあらへんなぁ・・・」
 純子は、そうつぶやいた。
 「マユちゃん、そしたら、そこで座ってくれるぅ?そうそう、お嬢さん座りや。まぁ、綺麗なお花みたいやなぁ。そこでおっぱいをこっちに向けて、胸張って、うわぁ、こりゃほんまに中1の女の子かいなぁ」
 純子は、そこまで大きな声で言うと、中腰になってファインダーを覗き込んだ。そして、
 「マユちゃん、ひまわりみたいやな。せやけど、マリちゃんなら、きっと可憐な百合の花やろな。うち、百合の花も撮ってみたいなぁ・・・」と、後ろに佇むマリに言葉をかけるのも忘れなかった。
 純子は、ファインダーを外し、さりげなく横目でマリの方を見遣った。
 マリは真っ赤な顔でうつむいていた。しかし、その口元は緩んでいた。
 「よし、この線できっと何とかなるやろ」
 純子はそう思いながら、再びファインダーの先のマユに視線を向けた。
 「じゃあ、撮るよぉ」


3.気分爽快


 マユは、自分が舞い上がっているのを、はっきり自覚していた。
 「何でだろう・・・。何だか分からないけど、私、変な感じになってる」
 斜め前の方に、自分の服を持って、こっちを心配そうに見ている母親の姿が見えた。
 それより更に奥に、大きなカメラを構える純子と、荷物を抱え、向こうを向いている純子の弟子たち、そしてその後ろに立っているマリがいる。
 でも、マユの近くには、誰もいない。
 周りは、どこまでも続く砂の山。
 そして、マユは生まれたままの姿で、その中心に一人座っている。
 「綺麗なお花みたいやなぁ」
 純子の声が遠くから聞こえてくるが、時折吹く突風に遮られ、あまりよく聞こえない。それでも、自分のことを褒めてくれている、というのは分かった。
 実際、純子とマユとの間の距離は、それほど遠いわけはなかった。しかし、マユは自分がずいぶん離れたところにいるように感じられた。
 「砂の眩しさ、風の気持ちよさ、すごい、私、体全部で感じてる・・・」
 マユは、完全に自分の世界に入ってしまっていた。
 服を脱ぐ前は、不安に押しつぶされそうだった。それでも脱ぐことができたのは、自分が躊躇していたら、マリがもっと不安になる、と思っていたからだった。
 つまり、最初は「仕方なく」という感情の方が大きかったわけである。
 ところが、純子に指示されるまま、裸のままでポーズを変えていくにしたがって、何ともいえない「気持ちよさ」を感じるようになっていたのだ。
 視界に入ってくる人たちは、皆、しっかり服を着ているのに、マユは一人、全てを曝している。普通なら、そう考えただけで、不安と恐怖に包まれるはず・・・。マユは、この状況で悦に入っている自分の感覚が、不思議でならなかった。
 それから、マユにとってもう一つ、不思議なことがあった。
 「そうや、大きなおっぱいを、こっち向けで」
 純子がそうやって指示を出してくる時、「おっぱい」というフレーズが出てくるたびに、マユは、自分の胸が高鳴っていくのを感じていた。
 今まで平気で使っていた「おっぱい」という言葉に、恥じらいを感じていたのだ。
 「何だか、恥ずかしいよ・・・。それに、何だかだんだん、体が熱くなってきた。砂漠みたいな場所だから?何だろう、気になるなぁ・・・。けど、気持ちいい・・・」
 マユは、明らかに感じていた。
 「うわ、マユちゃんのこんな表情、初めて見たわぁ・・・。最高やわ。この『作品』は、今までで一番の傑作になるで」
 純子は、マユの表情の変化に気づいた。それは、少女と女の、ちょうど境目にいるマユが、ヌードを撮影されることによって、自らの「女」の部分を発露させようとしている、その戸惑いと高揚感から生じている表情である、ということも、純子は感じていた。
 「まさか、ここまで『モデル』向きの子やったとは、思えへんかったなぁ・・・」
 マユの変化は、ある程度、純子がわざと煽っていたところがある。純子は、そうすることで、少女の中の「女」が呼び起こされることを知っていた。しかし、マユの場合は、彼女の予想を遥かに上回る「大変化」を見せていた。
 純子は、マユという少女が、実はとても面白い「モデル」であった、という発見に興奮しきっていた。
 その後方では、マリがマユの「別の顔」に釘付けになっていた。

4.世界に一つだけの花


 マリは、目の前の光景に、ただ息を呑むばかりだった。
 いつも元気で、明るくて、突拍子もない行動を見せ、そして意外とお茶目な、そんなマユとは違う、豊満で、艶やかで、そして優美な一人の「女」が、そこにはいた。
 「マユちゃん、本当にマユちゃんなの?すごいよ・・・。こんなになるんだ」
 思わず、マリはそうつぶやいていた。
 「マリちゃんも、変わるんちゃうかなぁ?」
 マリのそんなつぶやきを、純子は聞き逃さなかった。
 「マリちゃんは、マユちゃんより、色も白うて、髪も長くて綺麗な黒髪、まるでお人形さんみたいやろ?きっと、カメラの前では、いい顔を見せてくれるんちゃうやろか?」
 優しくそう語りかける純子に、マリは自らの不安を吐露した。
 「私、マユちゃんみたいに、胸も大きくないし、顔も可愛くないですよ。それでもいいんですか?」
 純子は、自分を真っ直ぐ見つめるマリの目を、優しく包み込むような表情で見つめかえしながら、
 「さっき、マユちゃんをひまわり、マリちゃんを百合の花、言うたやろ?」と言った。
 「はい、そんな風に見てくれて、恥ずかしかったけど、嬉しかったです」
 マリはそう言って、はにかんだ笑顔を見せた。
 「お世辞とちゃうよ。ほんまにそう思たんやわ。ええか、マリちゃん。お花には色々なお花があるやろ?ひまわりも、百合の花も、全然違うお花やけど、どっちも綺麗なお花や。百合はひまわりになる必要はあらへん。百合は百合のまんまが、一番ええのんや。マリちゃんは、マユちゃんとは違う。だから、マリちゃんにはマリちゃんらしい可愛らしさ、ゆうモンがあるんやから、うちはそれを引き出して切り取りたいんやわ」
 純子は、そう言って笑った。
 「先生、それ、昨日マユちゃんに言われたことにそっくりです・・・」
 マリは、驚いたような表情で、純子の顔を見ながら言った。
 「へぇ、マユちゃん、そんなこと言うてたんや・・・。それも意外な一面やなぁ。いや、それは置いといて、マリちゃん、それ聞いてどう思った?そうやなぁ、って思わへんかった?思ったやろ?それは、マユちゃんの言うてはったことが、えらい真っ当なことやからや。マリちゃんはマリちゃん。だから、自分に自信を持ってたら、何でもできるんちゃうかなぁ?」
 純子は、マリにそう促しつつ、
 「それにしても、マユちゃんはほんまに面白い子や・・・。そして、このマリちゃんも、きっと今まで見せたことのない顔を見せてくれるはずや。こりゃあ、出来上がりが本格的に楽しみになってきよったわ」という思いを抱いていた。
 純子にそう言われて、マリは考え込んだ。もともと思慮深い性格なのだが、それにも増して思いを巡らせていた。
 確かに、マユや純子の言うとおりなのだ。それはマリが一番よく分かっていることであった。マユが「女の子って思われたい」と言うときはいつも、マリは心の中で「私だって、もっと元気な明るい子と思われたいよ」と叫んでいた。夏になると友達と毎日プールに行くマユの活発さが、うらやましくて仕方なかった。
 そんな時はいつも、自分に「私は私」と言い聞かせていた。マリはそんな少女だった。だから、言われていることは十分に理解していた。


5.裸のままで


 マユは相変わらず、自分の隠れた「女」の顔を垣間見せながら、カメラの前でポーズをとっていた。
 「マユちゃん、そしたら、そこに横向けに寝そべってくれるぅ?そうや、そうそう。そんなら、うちがぐるっとマユちゃんの周りを回って写真撮るさかい、呼んだらこっち向いてぇや」
 純子に指示されたとおり、マユは砂の上に横になった。その豊かな胸の先が、日に焼けた砂に触れたとき、マユの体に衝撃が走った。
 「あっ!」
 「マユちゃん、大丈夫?」
 マユが突然声を上げたため、純子は反射的に声をかけていた。
 「・・・あ、全然、大丈夫です、何でもないです」
 マユはそう言って首を横に大きく振った。
 本当は、何でもなくはなかった。乳房が熱い砂に触れた瞬間、砂の温度が乳房全体に広がっていき、それが全身を駆け巡るような感覚になったのだ。まるで、弱い電流に感電したかのようであった。
 「やっぱり、私、変だよ・・・。緊張してるのかなぁ?でも、すごく気持ちいいんだよなぁ・・・。リラックスできてるはずなんだけど、何か、体が敏感になってるみたい」
 そう思いながらも、マユは、無意識のうちに時折体をくねらせてみたり、純子のカメラを上目遣いで見つめていたりと、確実に「女」に目覚めていたのだった。
 「うわ、これ本当に、あのぴょんぴょん飛び跳ねてた小ちゃい女の子かいな?すごいなぁ、体もむちむちしてるし、顔隠したらまるっきり大人の女やないか・・・」
 純子は、マユの変化に驚きながら、マユの体の正面側へ回りこんでいった。その動きを見て、そして、純子の押すシャッターの音を聞いていると、マユはますます気持ちが高ぶってくるのを感じた。砂の熱さ、風の気持ちよさ、純子の視線、裸の自分、そんな、自分を取り巻く全ての要素が、マユを感じさせていた。
 やがて、無意識のうちに、マユは地面についていないほうの足を少しずつ上げていた。
 そんな様子を見て、純子は、
 「マユちゃん、かなり危うい子やな。ほんまに少女から女に変わる、バランスを崩しやすい時期やけど、ここまで表に出てくる子も珍しいわ。まったく、うちも気いつけとかんとな。あくまで、ここでうちが撮ってるんは『少女』なんやから」と心の中でつぶやいていた。
 マユは、気持ちよさそうに、そっと瞳を閉じた。
 相変わらず、風の音が聞こえてくる。砂の熱さも感じている。目で周りを感じられない分、体全体で、砂丘を感じている。
 「あぁ、気持ちいい・・・」
 いつしか、マユは夢の中に入っていた。
 「マユちゃん!マユちゃんて・・・。あらら、寝てまったわ。やっと晴れ間が見えてきたゆうのに・・・」
 純子は、途方に暮れてしまった。そして、
 「何や、やっぱり子どもやない」とつぶやいていた。


6.熱き鼓動の果て


 「先生、私、やります」
 突然、マリが声をあげた。マユが眠ってしまい、途方に暮れていた純子にとって、それは待ちに待った回答だった。
 「そうか、決めてくれたんやな。いやぁ、うちは幸せやなぁ。ほんま、おおきに、おおきに」
 これで、今回の「作品」は思い描いたとおり、完璧に仕上げられる。純子はそう思っていた。
 マリは、さっきまでのためらいはどこへ行ってしまったのか、と思えるほど速やかに自ら服を脱ぎ、そのシャツを眠ってしまったマユにそっと掛けた。
 「こっちは、ほんまにイメージどおりってとこか」
 マリの細く伸びやかな裸身が、やっと顔を見せた太陽に照らされて、その輝きを増していた。
 「体はまだ全然成熟してへんけど、中身はしっかりした大人や。ほんま、マユちゃんとは好対照やねぇ。これだけ色がはっきりしていれば、2人並んでもそれぞれが主張しあって、相乗効果が出るゆうモンやわ。いやいや、うちはほんに幸運を掴んでるのやなぁ」
 純子は、マリを撮影しながら、そう思っていた。
 一方、マリは、目の前で純子がシャッターを押し続けているのを、どちらかというと他人事のように見ていた。
 「先生は撮影の間、お弟子さんたちを向こうに向かせてるし、周りは誰もいない、私を見ているのは先生とお母さんだけ・・・。撮った後、写真をどうするか、って考えると、頭の中がこんがらがっちゃうけど、今はそんなこと考えずに、ただ目の前のカメラだけを見ていよう。それだけなら、私も緊張しないでいられそうだから」
 もちろん、本質的に恥ずかしいことには変わりはない。その証拠に、マリの足はマユとは異なり、どんなに撮影が進んでもぴったりと閉じられたままであった。
 マユは、撮影にある種のエクスタシーを感じていた。しかし、マリにはそれはなかった。頭の中では、どうしても不安や緊張を消し去れずにいたのである。
 理性が邪魔をして、本能の赴くままに動けない、そんな感じだろうか。
 純子は、マリの気持ちは痛いほど分かっているつもりだった。だからこそ、マリの撮影は慎重になっていた。マリの悲壮な決意まで、カメラが切り取ってしまわないよう、表情の変化に気を配っていたのである。
 しかし、そんな気配りは不要だったのかもしれない。
 「マリちゃんは、きっと無意識のうちに『モデル』に徹しようとしてるのやろなぁ」
 純子の目には、マリの心の奥底に潜めているはずの悲壮感は、これっぽっちも映らなかったのである。当然ながら、それをシャッターで切り取ることもなかった。
 マリの表情は、傍目には「演技」には見えない。
 しかし、心の中では、常に不安や緊張を持って、撮影に臨んでいるのだ。
 なのに、純子たちに見せる笑顔は、決して作られた笑顔ではない。その裏に不安を読み取ることはできないのである。
 「これもこれで、本番に強い『モデル』向きの性格いえるなぁ。タイプは全然違うとるけど、2人とも、今まで会った中でいちばんや」
 純子は、そう思いながら、ファインダーを覗き、シャッターを切り続けた。

7.世界でいちばん熱い夏


 昼ごろから、砂丘は素晴らしい天気に恵まれていた。
 マユが目を覚ますのを待って、撮影隊は食事休憩を取った。
 「それにしても、砂丘ってやっぱり暑いね」
 マユは、弁当のおにぎりを頬張りながら、そう言った。
 「周りに誰もいないんだから、撮影の番じゃなくても裸でいようかな?」
 いたずらっぽく話すマユに、マリが、
 「冗談はやめてよ。見ているこっちが恥ずかしくなるじゃない」と言い返した。
 しかし、そう言うマリの表情は、明るかった。
 その様子を見ながら、純子は作品の出来がこれまでになく素晴らしいものになることを確信していた。
 「鳥取まで来た甲斐があったわぁ。はじめは2、3日で何が撮れるやろ、失敗したらどないしよ、など後ろ向きにしか考えられへんかったけど、天気もええし、『モデル』は素晴らしいし、想像以上にいい作品に仕上げられそうやわぁ」
 純子は上機嫌な様子で、水筒の麦茶を口に含んだ。
 「さあ、ごはんが終わって、ちょっと休んだら、いよいよマユちゃんとマリちゃんの2人揃っての撮影も始めたろか」
 その言葉に、真っ先に反応したのはマユだった。
 「2人揃って、って、マリちゃんと並んでポーズとればいいんですか?」
 「まぁ、そんなカットも考えてるし、別々に撮るんも考えてるんやわ。揃って撮影、って何も必ず一枚の絵に収まらへんかってええ思う。どっちかが枠の外におって、撮られてる方といつものように話したりしたら、撮られてる方はいつもどおりの表情が出せる、そんなことも考えてるんやわ」
 純子は、マユの問いかけにそう答えた。
 ペアの「モデル」の使い方については、純子にはある確信があった。「モデル」をペアにするのは、決してペアの写真を撮るためだけではなく、ペアで同行することで、一人ひとりの撮影にもプラスの影響を与えることができる、というのが、純子がペアにこだわった理由だった。
 「どっちにしても、私はマユちゃんと一緒にできるのがうれしいです」
 マリはそう言って、純子に笑いかけた。
 その笑顔を見て、マユは心から安堵した。
 「マリちゃん、あんなに楽しそうにしてる。本当によかった」
 自分が寝ている間に、マリの撮影が始まっていたことを知って、マユはマリの様子が気になっていた。
 「マリちゃんの番になったら、私が一緒についていてあげよう、って思ってたのに、自分だけ気持ちよくなって寝ちゃうなんて・・・。起きたらもうマリちゃんの番が始まった後だったし、大丈夫だったのかなぁ、って気になってたけど、マリちゃんも笑ってるし、きっと大丈夫だったんだね。これで、やっと一緒に撮影ができるんだね、マリちゃん」
 マユは、そう思いながら、その愛くるしい顔を緩め、マリの顔を見ていた。
 「マユちゃん、どうしたの?私の顔に何か付いてるの?」
 マユの視線に気づいたマリが、そう尋ねてきた。
 「ううん、何でもないよ。気にしないで。あ、でも、顎の『お弁当』は、取っておいた方がいいかもね」
 マユはそう言って微笑んだ。マリは、怪訝そうな表情で右手を顎に当てた。
 「あ!ごはん粒がついてる!ひどぉい、何で今まで教えてくれなかったのよ」
 マリはマユに向かって笑いながら、指についた米粒を口に運んだ。



第三章「羽化」
※第三章までやっと仕上がりました。うまく話をまとめられず、思ったよりも時間がかかってしまいました・・・。
なお、この作品は全くのフィクションです。特に、設定等に大幅な独自解釈を加えてありますので、違和感を感じる方も多いと思いますが、あくまでも「小説」ということでご理解くださいますようお願いいたします。

1.真夏の果実


 2日目は、あいにくの曇り空から始まった。
 「まぁ、しゃあないなぁ・・・。金曜日に登校日がある、ゆうんやし、明日にはもう帰らなあかんさかいな、雨が降らへんよう、祈るのみやな」
 雲が低く立ち込める空を見上げながら、純子はそうつぶやいていた。
 雨が降ることで、純子の機材に影響が出る、というのはもちろんのこと、マユとマリの髪の毛が濡れ、べったりと顔に付着して見苦しくなったり、足元の砂地が水分を含んで、寝そべったポーズを取れなくなるといった「モデル」への影響や、自らの考える作品世界との隔たりなど、様々な懸念が純子にはあった。
 「それじゃあ、今日は昨日の続きで、2人背中合わせになって、手をつないで・・・」
 心配を隠し、昨日と同じように、純子の指示が砂丘に響き渡った。もっとも、実際には、砂を巻き上げる風のせいで、ほんの数メートル先までしか、その声は届かなかったのだが。
 「マリちゃん」
 背中合わせになりながら、マユは視線を変えずに後方のマリに話しかけた。
 「何?」
 マリはやや小首を傾げ、後ろにいるマユに視線を送ろうとしたが、その視界にはマユは入ってこなかった。手を離し、体ごと横を向けば、見ることはできたのだが、自分は「モデル」として、純子の指示以外の体勢を取ってはいけないのだ、という思いが、そうさせてくれなかった。
 「マリちゃんって、思っていたより柔らかいんだね」
 マユは、小刻みに自らの臀部をマリに当てながら、それでも視線はマリの反対方向から動かさずに、そう言って笑った。
 「もう、マユちゃんの意地悪」
 マリは、そう言いつつも、満更でもない気分だった。
 マユのお尻の感触は、マリにとっては予想通りであった。柔らかく、あったかい。それは、マユのぽっちゃりとした全身を見れば容易に想像がつくものだ。そこから考えれば、自分のそれは、きっと固くて、魅力的ではない、マリはそう思っていたところだったのだ。
 「意地悪じゃないよ。本当にそう思ったの。いい体してるねぇ、って」
 「もう、そんな言い方、どこで覚えたのよ」
 マリは「いい体」と言われて内心嬉しかったが、それはマユが痩せている自分に気を遣って言ってくれたのだ、と思っていた。
 けれど確かに、それはマユの本心だった。
 自分には、確かにこの歳にしては立派な乳房がある。しかし、活発に外で走り回ることが好きだったマユにとって、この胸は邪魔なものでしかなかった。
 「去年の運動会のときは、本当にそう思ってたよなぁ」
 既に、小学6年生の夏ごろから、マユの胸は爆発的な成長を始めていた。日に日に肥大していく自分の胸を見て、それからあまり大きくなっていかないマリの胸を見比べると、あれぐらいだったらもっと走り易いのに、と思えて仕方なかった。
 鳥取に来て、「モデル」になってからは、純子はマユの胸を思い切り褒めてくれた。もぎたての果物みたいに、瑞々しくて、柔らかそうで、魅力的だ、と。そんな言葉は嬉しかったのだが、相変わらずマユにとっての理想の体型は、マリのそれだったのだ。
 「いやぁ、それにしても本当に、いい体ねぇ」
 つないでいた手を外して、マユはマリの臀部を撫でながら言った。
 「あ!勝手に手を離して・・・。もう怒った!マユちゃんこそ、女らしい、いい体じゃない」
 そう言うが早いか、マリはマユの背後から両胸に手を回し、軽く揉む仕草をした。
 「こらこら、2人とも、遊ぶのは後にせぇへん?時間もないんやし・・・」
 ふざけあう2人に苦笑しながら、純子はただそう言うだけだった。

2.雨


 間もなく昼の休憩、という頃に、ついに雨が落ちてきた。
 「とうとう来よったか・・・。ここまで順調やったのに。まぁ、ちょうどお昼やし、休憩にしよか。通り雨やったら、午後にはまた撮影できるやろし、ひとまず食事にしよ」
 純子はそう言って、撮影を一時中断しようとした。彼女の弟子が、濡れた機材を拭くための布を抱え、純子のそばまでやってきた。マユとマリの母も、2人の体を拭くバスタオルを、バッグから取り出そうとしていた。
 「マリちゃん、このままちょっとだけ、海で遊んじゃおうか?」
 純子の「休憩宣言」を聞いたマユが、すぐさまマリを誘った。
 「そうね、こんな経験、滅多にできないし」
 マリは、そう言って大きく息を吸い込むと、マユに目で合図を送った。その合図を受けたマユは、小さく身を屈め、
 「せぇの」と言って、大きく手拍子を打った。
 純子たち、その場にいた大人は、突然聞こえてきた「パチン」という音に驚き、その聞こえてきた方を見た。すると、そこには、海に向かって一目散に走っていく、2人の裸の少女がいた。
 「あの子たち、元気やなぁ」
 純子は、半ばあきれながら、マユとマリを見ていた。2人のもといた場所では、その母がバスタオルを抱えながら、心配そうに海を見ていた。
 波打ち際に先に着いたのはマユだった。そのまま倒れこむように波に向かって行き、次の瞬間には、頭からつま先まで全部波に洗われていた。
 「気持ちいい!」
 濡れた前髪を両手で掻き分けながら、マユは大きな声で叫んでいた。
 マリも遅ればせながら、ばしゃばしゃと足音をたて、海の中へ入っていった。
 波打ち際で、何も身に着けていない体をずぶ濡れにしながら、水を掛け合ってはしゃぐ2人の少女。その姿を見て、純子は不意に、
 「カメラはまだしまわんといて」と、弟子に伝えたかと思うと、そのカメラを抱え、マユとマリの方へと走り出していた。
 「あの子たち、ええ顔してるわ。髪が濡れてしもうて、『作品』には使えへんけど、この顔は逃せへんわ」
 純子は、そうつぶやきながら、カメラを2人に向け、ファインダーを覗いた。
 写真家としての「本能」がそうさせたのだろう。
 「マリちゃんは、髪が長いから、首筋にべったりくっついてもうたな。マユちゃんも、さすがに首筋にはついてへんけど、それでも頭から海に突っ込んでびしょびしょや。こんなん『作品』には絶対にでけへん。でも、どうしても、この表情は撮らへんかったらもったいない。今まででピカイチの笑顔やもん」
 純子は、波と戯れる2人の若い娘を、ファインダー越しに眺めながら、そう思っていた。
 「本降りになったら、車まで戻るんやでぇ!」
 純子が2人にそう叫んだちょうどその時、雨足が強くなってきた。
 「マユちゃん、雨、強くなってきたね」
 「もう濡れてるから、関係ないよね」
 マユとマリは、笑いながらそう言っていた。
 純子とその弟子、そして母は、慌てて車に入っていった。そんな様子を横目で見ながら、
 「服着てたら濡れちゃうから、かわいそうだね」と、2人は口を合わせて言っていた。
 「早う戻りぃ、いくら何でも風邪引くわぁ」
 純子は、そんな2人に向かって手を振りながら、そう叫んでいた。


3.晴れたらいいね

 車に乗り込んだ撮影隊の一行は、とりあえず宿に戻った。
 海水に濡れた髪を風呂で洗い流すのと、完全に乾かすためである。
 もちろん、裸のままで宿に入ることはできないため、2人は車の中で体を拭き、それぞれの服に着替えていた。
 「あぁあ、もっと裸で遊んでいたかったのになぁ」
 マユはそう言って、頬を膨らませていた。
 「本当、今回の旅行で、一番楽しかったね」
 マリは、マユに笑いかけながら、そう言った。
 「旅行は旅行でも、うちらは『撮影旅行』で来てるのや。こんな天気やったら、その目的が果たせないまま、お開きになってまうやない。何とか、雨上がってくれへんやろかぁ」
 無邪気に話す2人を横目に、純子は車の窓越しに空を見ていた。しかし、鳥取の空は、雲が低く立ちこめ、窓を突くように降り続く雨は、一向に止みそうもなかった。
 純子にとって気がかりなのは、ここまでスケジュールが押し気味で、予定していた半分ほどしか、撮影ができていなかったことだった。
 「あまりにも2人が理想的過ぎて、全体の進み具合までよう考えてへんかったわ」
 実際、対照的ながら、どちらも「モデル」としては超のつく優良被写体であった。思いもかけないマユの「女」としての顔も見ることができたし、葛藤を乗り越えたマリの姿も素晴らしかった。それに満足しすぎて、撮影したカット数があまりにも少ない、ということに気づいていなかったのだ。
 「恨めしいなぁ、何とか回復してくれへんやろか・・・」
 純子には、ただ雨の降り続く空を見上げ、そう祈るしかできなかった。
 その時、突然、マユが純子に、
 「先生、これで終わりじゃ、残念だよね?晴れるといいですね」と言った。
 「何か、私たちがいろいろと遊んじゃって、撮影が遅れてるんじゃないですか?だとしたらごめんなさい。続きができるように、雨が止んでほしいです」
 マリもマユの横で、同じように晴れを願い、純子をねぎらう言葉を伝えた。
 「何言ってるんや。『モデル』は写真家の気を遣わんでもええんや。むしろ、うちがマユちゃん、マリちゃんの疲れをいたわってやらなあかんところやわ」
 純子は、マユとマリにそう言いながら、にっこりと笑った。けれども、その目からは一筋の涙が流れていた。
 「あら、何やろ、ごめんね、何や、目にゴミが入ったみたいやわ・・・」
 そう言って、純子は懸命に取り繕っていた。「モデル」に自らの苦労をいたわるような優しい言葉をかけてもらうなんて、思ってもみなかったことであった。
 過去にも、撮影を感謝されたことはあった。それに対しては、純子はいくらか斜に構えていたところがあった。
 「可愛らしお嬢ちゃんを、可愛らしく撮れただけですわ」
 感謝の意を表す「モデル」の保護者には、必ずそう言葉を添えていた。それはまるで、自分でなくともいい作品をつくることができた、というような感じであった。もちろん、純子としては、「モデル」がよかったから、自分もいい作品を仕上げられた、という思いがあり、だからこそ、そういう物言いになってしまっていたのだ。
 だが、この日は違った。自らが自信を持って「最高のモデル」と言える存在に巡り会い、その「モデル」を撮影できる喜び、そして、自然現象にそれを邪魔されたことによる悔しさ、それらが「素直な感情」として、純子に湧き上がっていた。
 そのうえで、その「モデル」に労をねぎらってもらえたことが、純子には何よりも嬉しかった。そして、その感情は、涙という形でいつになく素直に表現されたのだ。
 「ほんま、晴れたらええなぁ・・・」
 そうつぶやく純子の声は、水溜りを走り抜けるタイヤが上げた水しぶきの音に、すっかり掻き消されていた。
4.裸足の女神


 昼過ぎに強くなった雨足は、それから1時間もたたないうちに小さくなっていった。
 雲行きは怪しいものの、午後2時過ぎには、何とか撮影ができそうな天候に変わっていた。
 「あっちゃあ、砂が濡れて、これじゃあほとんど『泥』やねぇ・・・」
 現場に戻るなり、純子は黒く濡れた地面を指で押しながらそう言った。純子の指には、水分を含んでずっしりと重くなった砂が、粘土のように絡み付いていた。
 「とりあえず、サンダル用意しといてよかったわぁ。靴やったら、中がドロドロになってたとこや。そしたら、マユちゃん、マリちゃんのせっかくの可愛らしお靴が台無しやったわ」
 靴に砂が入り込んでも、払い落とせばすぐに履ける。しかし、水気を多く含んだ土で汚れてしまったら台無しである。だから、靴を履く前に、足を十分に洗わなければならない。
 けれども、当然ながら、砂丘にはそんな設備はない。必然的に、乗ってきた車に戻って、ポリタンクの水で洗うことになる。撮影場所から車が近ければいいが、起伏の激しい砂丘の中心部には、もちろん車は入ることができないため、相当な距離を靴なしで歩かせなければならない。純子はそれを気にしていた。
 サンダルは、たまたま純子が持ってきていた、どこにでもありそうな安物だった。残暑の厳しい時期ということもあり、撮影中にあまりにも暑く、靴の中が蒸れてしまったら、それを履いて撮影を続けるつもりだったのだ。だから、サンダルは1足しかなかった。
 「さて、問題は、2人いっぺんに撮影に出られへん、ゆうことやな。まぁ、しゃあないか。車を基地に、交互に撮影したらええんやし」
 純子はそう言って、車の中で服を脱ぎ、バスローブを身にまとった2人に声をかけた。
 「そしたら、まずマユちゃんから、先にいこか」
 マユは、そう言われると、ドアの下に揃えられたサンダルを引っ掛け、砂丘に再び降り立った。
 「うわ、本当に、地面がさっきまでと全然違う」
 マユが歩くたびに、その踏み込んだ地面が、大きな塊になって外に転がっていく。サンダルがなかったら、もうすぐにでも、足は真っ黒だっただろう。
 バスローブにサンダル履きという、砂丘という場にそぐわない奇妙な出で立ちのマユは、純子とその弟子の後について、黒ずんだ丘を登っていった。
 母は、車に残されたマリの相手をするために、同行することができなかった。
 「さぁ、ここらへんで撮ろか。そしたら、巾着をマユちゃんに渡してきてや」
 純子は、カメラを構えながら、弟子にそう指示を出した。弟子は、巾着袋を荷物から取り出すと、砂丘の斜面に立つマユのところへ歩いていった。
 「巾着渡したら、そのまま戻ってきいや!」
 純子は、弟子に向かって慌ててそう付け加えた。弟子は、言われたとおりに、マユに巾着袋を渡すとそのまま向きを変え、純子の下へ戻った。
 「マユちゃん、そんなら、巾着の中から布を出して、ガウンを脱いだらその巾着に丸めて、その奥の方に放ってな」
 マユは、巾着袋の中から花柄の布を取り出して、広げてみた。布は体全体を包み込めるほどに大きく、そして薄くて柔らかかった。
 「さて、これをあっちに投げればいいのね」
 マユは着ていたバスローブを脱ぎ、巾着袋に詰めてから、それを放り投げるために、奥の方へ10歩ほど歩いて、そして力いっぱい投げた。巾着袋は数メートル先まで飛んでいった。
 「伊達に『ハンドボール投げ』クラストップじゃないわよ!」
 マユは、そう得意げに言いながら、撮影のために純子に指示された場所へ歩いていた。
 「マユちゃん!サンダル!」
 純子の叫ぶ声に、マユははっと我に返った。足元を見ると、可愛げのない地味なサンダルが、まだ自分の足に被さっていた。
 「ごめんなさい!今すぐ脱ぎます!」
 マユは、照れ臭そうに片目をつぶり、舌を出しながらそう言うと、もとの場所の方へ歩いていき、サンダルを脱いで、裸足になった。


5.こんなにそばにいるのに

 マユの撮影が始まって、30分もたたないうちに、雨粒が再び落ちてきた。
 「やはりあかんか・・・。雲も全然切れそうにあらへんし、もうずっと降ったり止んだりやろな。残念やけど、これでしまいやな」
 純子は、どんよりとした空を恨めしそうに見上げながら、そうつぶやいた。
 ここで撮影するカットが少なくなると、純子の頭の中で思い描いているストーリーに沿った写真を組めなくなる。そう簡単には鳥取に来ることができない状況では、ここでのロケ中止は、純子にとってまさに断腸の思いであった。
 スケジュール的には、来年の夏に再び訪れるだけの時間はあるにはある。しかし、その時に連れてくる「モデル」であるマユとマリは、今日この瞬間のマユとマリではない。より「女」に近づいた存在であり、今回のカットと並べてしまえば、別の時期を切り取ったものだということが明白になってしまうだろう。
 だからこそ、今日までに砂丘ロケにイメージしている全てのカットを撮影しておきたかったのだ。
 「マユちゃん、お疲れさま。どうだった?って、何、その足?すごく汚れてるよ」
 車に戻ったマユを出迎えたマリは、マユの足元を見て驚いた。
 「地面が砂じゃなくて土になっててさぁ・・・。サンダル履いてる間はいいんだけど、撮影が始まったら裸足でしょ。ちょっと歩いただけでこんなよ」
 マユは車のボンネットにちょこんと腰掛けると、足をマリの方に突き出した。母が、持っていたポリタンクの口を開け、その足についた土を洗い流すために、水を掛けていった。
 「あぁ、さっぱりする。ありがとう、お母さん」
 マユはそう言って微笑むと、バスローブの前をはだけ、その裾を使って、ボンネットの上で、体育座りのような格好で足を拭き始めた。その柔らかく白い、大きな胸が露わになっていた。
 撤収作業のために、その場所には当然ながら、純子の弟子たちもいた。しかし、マユはそんな彼らの目を気にすることもなく、まるでそれが自然な形であるかのように振る舞っていたのである。
 「あんたら、乙女の身だしなみは、じぃっと見たらあかんでぇ」
 純子は、マユの様子に気づくと、弟子たちにそう叫んでいた。しかし、弟子はそう言われるまでもなく、不自然なまでにマユのいる方から視線をそらしていた。
 その様子を、マユは他人事のように眺めていた。
 「あの人たち、無理して顔を背けてるけど、きっと本当は私の裸を見たいんだろうなぁ。そんな気がする。でも、どうして男の人って、女の子の裸を見たがるんだろう?私は、男の人の裸なんて見たくないのになぁ。男と女の違いって、何なんだろう?」
 マユは、そんな疑問を頭に浮かべながら、足を拭き続けた。異性の思考に対する疑問、というのは、異性への本能的な興味の現われだろう。真っ黒になるまで日焼けした肌も、ほとんど気にすることがなかったマユだったが、徐々にではあったが、身も心も大人の女性に近づいていっているようであった。
 一方、マリは、マユが足を拭いているのを、フロントガラス越しに見ながら、車の中で服に着替えていた。
 「・・・何だろう、さっきから、お腹の下の方が何となく痛いような気がする」
 着替えながら、マリは自らの体に起こった「異変」に気づき始めていた。
 「雨の中、裸で水遊

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