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祭の一番の楽しみは乱交だった!?

    
昔、祭と言えば、男の正装はフンドシ一丁です。
   
上にハッピ(法被)を羽織ることはありますが、下半身はフンドシだけ。
御輿(みこし)を担ぎ上げ村を練り歩き走り回れば、フンドシの脇からタマがこぼれたり、サオがはみ出したりすることもあります。
   
周りを着飾った女たちに囲まれれば、勃起してしまうこともあるでしょうけれど、フンドシの場合は一目瞭然でわかります。
祭の熱気で上気した女たちは、はみ出したモノや勃起を見てさらに興奮します。
   
男も女も祭の中で性欲を高めていくのです。
そして、夜。
   
現代と違い村は真っ暗闇です。
どこで誰が何をしていても、見えません。
多くの男が女を物陰に連れ込み挿入しました。
   
祭とはそういうものだと女たちも思っているので、喜んで向かい入れます。
時には、2、3人を相手にすることにもなりますが、構いません。
   
子どもは村の財産ですので、必ずしも父親が特定される必要はありません。
人妻が夫以外の男に抱かれることもあり得ます。
古来、祭には性的なエンディングが伴っていたのです。
   
昔の人々は年中働き通しです。
毎週日曜日は休み、という習慣が定着したのは明治時代以降のこと。
それ以前は、休みなく毎日働くのが普通でした。
   
そのため、若い男女にとっては、異性との出会いのチャンスは滅多にありません。
祭の時にでもつかまえなければ、恋愛をすることができないのです。
   
男も女も、祭を貴重な出会いの場と考え、何としてもこの日に「やりたい」と集まりました。
美人がいいとか美男がいいとか、おっぱいが大きい方がとかぺニスが大きい方がというような贅沢など言っていられません。
   
皆が、「今日こそは必ずやる」という決意を持って臨むので、あっという間にカップルが成立します。
まごまごしていては乗り遅れてしまうので、選んでなどいられません。
   
その結果、一人の男が何人にも挿入したり、一人の女が何本も受け入れたり、ということが起こりました。
それが、祭の「普通」だったのです。
   
古来、わが国の祭は乱交へと発展する流れを持っていました。
誰かが、「乱交しよう!」と決めたわけでなく、自然な流れとしてそうなっていったのでしょう。
   
   
   
   

   



乱交 | 【2023-05-05(Fri) 21:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

古代は世界中で祭りの時に乱交

    
古代は祭りの時に乱交していたそうですが
世界中でそうですよね?
     
古代に限らずいろいろなところであったでしょう。
気分の高ぶる祭りにおいては、普段タブーとされていることも可能になったりしますし、若い男女がそういう雰囲気になれば、その先は大体見想像がつきますからね。
     
古代ローマの祭りに、ルペルカリア祭という豊穣を願う祭りがありました。
それはローマ建国のころから5世紀に廃止するまで年に廃止されるまで、1200年以上続いた伝統ある祭りですが、その最大の理由は乱交といわれています。
豊穣を願うのだから、その祭りのなかで”生産活動”をするのは理に適ってますよね。
しかもこの祭り、バレンタインデーともつながりがあるとのこと。
この他紀元前のローマでは結婚式を、乱交パーティー祝ったという話もあります。
キリスト教が普及して性がタブーとなり、そういった行為は表だってできなくなりましたが、民間の伝統はそうは変われませんかまあ、○○でしょうね。
     
また、古来インドでは男女の交わりは神聖なものとする考えがあり、寺院の彫刻という形で今にも残っています。
もし興味があれば訪ねて見られるのもいいかもしれませんよ。
もちろん無修正で彫られてますし、交わり方もいろいろあるようですから。
あとインドではホーリー祭りでもそういう行為がなされていたそだったようです。
     
古代とは言うには新しすぎますが、日本の盆踊りなんかもたまりませんよね。
薄暗い明りのもとで若い男女が輪になって踊る。
いい雰囲気になったところで最後は言わずもがな。
あまりにもひどいので風紀が乱れると江戸幕府などから度々盆踊りをしてはならぬと禁令が出されるほどだたそうな。
乱交は明治の初めあたりまであったとのこと。
この国でも、まだまだ夜這いが盛んだった時代の話ですね。
このほか、京都の暗闇祭り、宇治で新茶の季節に開かれる、縣 (あがた) 祭りとか、高知のよさこい(語源の「夜さ、こい」から簡単に想像つくと思われるが)。
今でも祭りによっては、しばらく後、産婦人科に来る人が増えるところもあるらしいから、まだまだこの伝統は脈々とつづいているともいえるそうですね。
     



乱交 | 【2023-05-03(Wed) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

昔、群れて生きる人類にとって、交流とは性交をすること

    
基本的に、人類は「群れ社会」の動物である。
人間の行動の全ては、生き行く事の恐怖心から始まっている。
    
食料の確保、外敵、傷病、全てが生き行く為の恐怖に繋がっているから群れて「共生」して来たのである。
    
人類は群れて生きる共生動物だからセッション(交流)が大事で、そのセッション(交流)の最たる形態的象徴が
    
性交を手段とする誓約(うけい)である。
    
誓約(うけい)のそもそも論は「対立の解消」にあり、その究極の証明形態が契(ちぎり/性交)に拠るコンプライアンス(要求や命令への服従)の実践で、
    
後に恋愛感情に発展する事は有っても初期の段階では恋愛感情とは全く別のものである。
    
   
 (中略)  
     
    
今日のスワッピング(夫婦交換)プレィと日本各地に存在した村落公認の「夜這い制度」におけるセックス・セッション(乱交)は筋が違う。
    
あくまでもこれは、集(つど)いて行為の時間を共有するセッション(共演/協議)である。
    
セッションには(協議や会議)の意味もあり、言わば「語らい」である所から、性行為を通じて親近感を醸成し「意志を通じ合う」と言う意味もある。
    
つまり「夜這い制度」や「寝宿制度」に拠るセックス・セッション(乱交)は、群れとして解り合える為の究極の手段なのである。
     
この国には、二千年の永きに渡り特殊な性文化が存在した。
    
元を正すと、縄文末期に日本列島に数多くの征服部族が渡来して縄文人(原住民・/エミシ族)を征服し、それぞれが土地を占有して小国家を打ち立てた。
    
その征服部族の出身が、中国大陸から朝鮮半島に到る極めて広域だった事から、被征服者の縄文人(原住民・/エミシ族)を含めそれぞれが対立したこの環境を、
     
武力を背景にした強姦や性奴隷化ではなく、双方の「合意に拠り創り出す知恵」が、誓約(うけい)だったのである。
    
太古の昔、人間は小さな群れ単位で生活し、群れ社会を構成した。
    
その群れ社会同士が、争わずに共存するには性交に拠る一体化が理屈抜きに有効であり、合流の都度に乱交が行われて群れは大きくなって村落国家が形成されたその事情が、仲間として和合する為の誓約(うけい)の性交を産みだしたのである。
    
弥生期初期の頃は、大きく分けても本来の先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系渡来人、呉族(ごぞく/海洋民族)系渡来人の三つ巴、その三っも夫々(それぞれ)に部族集団を多数形成していた。
    
つまり最大の政治(まつりごと)は、それらの勢力の争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効があるツール(道具)が誓約(うけい)の性交に拠る血の融合だった。
    
そしてその誓約(うけい)の性交は、新しい併合部族の誕生を呪詛(祈る)する神事と位置付けられて、主要な「祀(祭・奉)り」となった。
    
語呂合わせみたいな話だが、祀(祭・奉)り事は政治(まつりごと)であり、政治(まつりごと)は性事(せいじ)と言う認識が在った。
    
直前まで争っていた相手と急激に互いの信頼関係を構築する証としての方法は、性交に拠り肉体的に許し合う事をおいて他に無い。
    
つまり日本民族は、日本列島に流入してきた異民族同士が現地の先住民も巻き込んで合流し国家を作った。
    
    
    
  <引用元> 
    



乱交 | 【2023-05-02(Tue) 20:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

盆踊りは生娘も人妻もする乱交パーティだった

    
〈盆踊り〉とは、生娘も人妻も乱舞する“乱交パーティ”だった!
日本人は、古代より性の自由を謳歌してきた。
歌垣、雑魚寝、夜這い、盆踊り・・・。
万葉の時代から近代までの民俗文化としての“乱交”の歴史。
      
日本最古の“乱交”の記録は、『記紀』や『風土記』の「歌垣」である。
古代日本では、宮廷人から農民までの男女が、おおらかに性の自由を謳歌していた。
      
『万葉集』にも、歌人・高橋虫麻呂の「人妻と我も交わらん、我が妻も人から誘われよ・・・」という歌が残る。
そして、中世からは「雑魚寝」や「夜這い」、江戸時代には日本各地で「盆踊り」という形で乱交は行なわれ、明治以降も密かに続けられた。
      
森鴎外も『ヰタ・セクスアリス』で、故郷・津和野の盆踊りでの「性的な体験」を記している。
本書は、膨大な歴史文献・資料をもとに、古代より連綿と続く“民俗としての乱交”の歴史と文化をまとめた、初めての「乱交の民俗学」である。
      
この本で思い出したことがある。
それこそ「見付裸祭り」
神様のおわします「御神輿」が天神様を出発する時は、見付地区の全ての灯りが消され、それこそ街全体が真っ暗になる。
      
その真っ暗な中、御神輿がお渡りになる「中のお宮」まで到着する10分間程度は、戦前くらいまでは、それこそ到る所で乱交だったというあまり語られない事実がある。
御神輿に従っている数千人の若者たちは褌一本・・・そりゃ「裸祭り」なんだから。
そしてあたりは真っ暗(これはわざわざ月のない夜を選んでるから本当に真っ暗)、沿道には大勢の娘たち。
      
最初からそれを楽しみで、大勢の娘たちが近隣からこぞって祭り見物に来ていたという。
道から一歩それた林の中などで、大乱交となっても、そりゃ「神様公認」なんだから罪の意識などない。
      
今ではそんな事実が語られることはない。
なので、祭りの本質の部分で「どうしてなの?」ということがどうしても出てきてしまう。
      
「どうして神様はお渡りするのか?」
「どうして真っ暗にするの?」
「どうして若者たちは褌一本なの?」
      
公式ホームページでも、裸祭りを紹介するパンフレットにもこの答えは書かれていない。
これに答えるには語られなかった事実を語らなければならない。
      
でも、それがいけないことではなく、日本人の歴史の中で「お祭り」というのはそういった部分もあるということ。
      

     



乱交 | 【2023-04-29(Sat) 12:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

「お祭りをする」とは「命を繋ぐ行為」の隠語

     
庶民における伝統的日本社会は、「性」に対し実におおらかで、開放的でした。
その「性」におおらかな証拠は、各地の祭礼に残っています。
庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする」と言うほどです。
      
本来、信心深い筈の庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたくらいで、命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからです。
神社の祭典は、時代の変遷に伴って現在のように大人しいものに成ったが、当初はエロチックなものでした。
      
奈良県の明日香村のおんだ祭りは性行為そのものを御祭りで再現するので有名です。
御祭りの御面などもその名残といわれています。
また御祭りはおもに夜に行なわれ「暗闇乱交祭り」ともいえます。
      
      

    



乱交 | 【2023-04-22(Sat) 23:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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