あっちゃんとワレメ ー弐の回ー
あれからおれはあっちゃんと話すのをやめた。
なんでだよ、って言われそうだけど怖かったんだ。
みんな小学生だったからわかるだろ?
女子と仲良くなることの言い知れない恐怖を。
周りからはバカにされ、貶される。
自分だってまだ心が未発達で未熟なせいか、自分の心が自分のものじゃないような感覚に陥る。
ただ、無視はできない。
はぐらかすのも一苦労だ。
「あんなぁ」
と、あっちゃんが来たら、
「ごめんな。俺、ちょっとやることあんねん」
「わりぃ。俺、ちょっと行くとこあんねん」
そんな感じだ。
その度にあっちゃんはほっぺたを膨らませた。
ある日の放課後。
予報より早く雨が降っていた。
おれを含めた傘のない数名は教室に残っていた。
もちろんあっちゃんもいた。
今日も彼女は声をかけてきた。
「あんなぁ…」
まただ。すでに体が反射的にこわばる。
おれは背を向けた。
「ごめんな。俺…」
「待ちや!」
聞いたことある声が教室に響く。
驚いて振り向くと、間抜けなピ タ ラビット似のブスがいた。
「話聞いたで。なんであっちゃんを無視すんの?」
「あ、いや…」
徒党を組んだか。おれはうつむく。
そして考えた。逃げようと。
「はは。いやぁ、最近忙してかなわんわ。ほな、行くわ」
「待て言うとるに!」
ブスは襟をつかんできた。
おれは苦しくなって手近な椅子にふらふら座った。
「あほ。おまえ、殺す気かよ…」
「あたしの話を聞け言うとるんじゃ。なんであっちゃんを無視すんねん」
「別にこっちの勝手だろ?」
おれにワレメ見られているくせにうるさい女だ。
妙なお節介を出すブスは嫌いだ。暇人の極致。ゲスだ。
「あっちゃんが相談して来たんや」
「はぁ?」
「あっちゃんに言われたやろ。好きって?」
おれはビックリしてあっちゃんを見た。
彼女はほっぺたを赤く染めうつむいている。
次におれは周りを見た。
幸い、他のみんなは教室を出たらしい。
だが不安は残る。
もしかしてクラスのみんなも知ってるのか…?
「あたしは親友や。もちろん他のみんなは知らん」
「そ、そうか」
「嫌いなら嫌いって言えばええやん。わかるか? あっちゃんは苦しんでんねん。おまえのせいやで。わかるか?」
「でも、おれは返事しとらんもん」
「じゃあ、今言えばええやん」
おれはどう見ても誘導されているが、どちらにせよこの時間はいずれ来るものだ。仕方ない。
「わかったわ」
「なにを?」
ブスはまだつっかかってくる。めげない女だ。
「答えや。ただ二人にしてくれ」
「二人…あたしと?」
「ちゃうわ! あっちゃんと!」
そうか、とブスはうなずいた。
そしてあっちゃんに一言二言耳打ちすると、ほな、と教室を出ていった。案外素直だった。
さて。
雨の日の教室に二人きりだ。
おもむろにおれはランドセルを背負う。
つられてあっちゃんも背負った。
「帰ろか、あっちゃん」
「…うん」
あっちゃんはしおらしい態度でついてきた。
他の教室にもまだ何人かいたが、廊下は雨の音以外なく静かだ。どこからかエアコンの音が聞こえる。
とぼとぼ下駄箱へ向かい、おれたちは靴を履き替えた。
しかし外は雨である。日差しの下で立ち尽くしていると、知らない生徒の親が何人か来ては、人さらいのように子供を抱いて、傘をさし、校門へ走っていく。
その光景はおれたちに孤独を与えた。
まるで孤島に取り残されたような感覚だ。
それは校門の向こうにある正道を過ぎる車を見る度に感じられた。
「なあ、どうする?」
おれが言うと、あっちゃんは黙ったままでいた。
今度はそっちが無視か、とがっくりする。
仕方なく、おれが口を開く。
「これ、台風かな。それだったら帰れんなぁ。よく聞くやろ? 用水路に小学生が飲まれたとかいうやつ。おれはドザエモンなんてごめんやで」
笑い話のつもりだった。
その時、あっちゃんは急に走り出した。
雨の中へまっしぐらだ。彼女の裾にフリルのついた白いTシャツもジーパン生地のスカートもランドセルも、一気に濡れた。
慌てて、おれは彼女を引っ張った。
するとあっちゃんは告白したあの時みたいに飛び込んで来た。
反射的におれは手を離した。
あっちゃんは引っ張られた力をどうすることもできずに、ゴールしたばかりの短距離ランナーみたいに止まれず、廊下へ転がった。びしょ濡れのせいか、つるりと滑った彼女は壁に体を打った。
「なにやっとんねん!」
おれはダッシュで彼女に近づき、体を抱いた。
訳のわからない状況のとどめに、あっちゃんは笑顔を見せた。今日一番の笑顔を。
「タオル」
「はぁ?」
「保健室に行ってタオルもらおう」
おれはうなずいた。
後々よく考えると、それは少し変だった。
タオルなんてもっと近い職員室でもらえばよかったのだ。
保健室には誰もいなかった。
しかし部屋自体は開いていて、簡単に入れた。
おれはタオルを探した。もちろん見つからない。
困って椅子に座ると、今度はあっちゃんが部屋を物色し始める。
「なんや、あっちゃん。泥棒しに来たんか?」
からかいの言葉をかけると、ちゃうよ、とあっちゃんは笑顔を見せた。
ステンレスの薬品棚の脇にタオルがあった。
おれの横にあっちゃんが座り、髪を拭き始める。
ふと彼女を見て、おれはハッとした。
ハート型のボタンが可愛い白いシャツが透けていた。
胸にあるささやかな突起物は完全な色ではないが、そこにあるという主張だけはしていた。
おれが目をそむけると、それに気付いたのか、あっちゃんはおれの手を引き、ベッドへ連れていく。
サーっとカーテンを閉めた。
「あっちゃん、どうしたん?」
「髪」
「ふぇっ?」
「髪、拭いて」
なんだそれ。
おれは押しつけられたタオルを手に、なぜか彼女の髪を拭き始めた。
人の髪を拭くという行為は小学生にはむずかしい。
たまに髪を引っ張ってしまって、痛い、なんて怒られる。
ドライヤーほどじゃないが、なかなか乾いたと思う。
「もうええやろ。帰ろうよ、あっちゃん」
「あほちゃう?」
「へっ?」
おれが言うのと同時に、あっちゃんは振り向いた。
「えっ!?」
声が詰まった。
あっちゃんはシャツについていたハート型のボタンを外していた。
それは自分をさらけ出す、ということと同義だったのかもしれない。
シャツは乳首がギリギリ隠れるほどはだけていた。
あっちゃんの身体は白かった。
保健室の白に統一された世界において、それはより一層引き立っていた。
おれは唾を飲み込んだ。
どうすればいいかわからない。
二度、三度と唾を飲み込む。
あっちゃんの顔は見れなかった。
それは負けるという恐怖を感じるのに似ていた。
「ねえ」
あっちゃんの甘い声はおれの恐怖にヒビを一発入れた。
「……さわってみる?」
魔法の言葉だった。
恐怖はいとも簡単にぶち壊れた。
おれは震える手をゆっくり伸ばす。
未知の鉱石を発見したようにさわり方もわからない。
触れれば壊してしまうかもしれない。
妄想は脳みその中で乱反射し、増幅するばかりだ。
あと三センチメートルというところだった。
コツコツと足音が近づいてくるのを感じた。
あっちゃんは咄嗟におれの手を引っ張った。
おれもすぐに応じ、二人でベッドの下に潜り込んだ。
ガラガラと鈍い音が保健室に響く。
ハイヒールの音からして保健の先生だろう。
ドキドキが止まらない。
横を見ると、あっちゃんが伏せている。
おれも伏せようと思ったが、あることに気づく。
ピンクの突起物だ。
あっちゃんは自分の乳首が見えていることにまるで気付いていない。
おれはこっちを見られていないことをいいことにガン見した。
すぐに勃起した。
そして、すぐやばいことに気付いた。
おれのチンコのすぐ近くにあっちゃんの顔があるのだ。
たかが小学生のチンコだ。大きさは知れている。
しかし無知で自惚れたおれはあっちゃんに触れてしまうと思ってしまった。
そっと腰を引き、体をよじった。
音を立てずに離れなくては、と焦った。
数分して、先生は出て行った。
よかった。バレなかった。
「ああ、危なかったな」
と、あっちゃんが立ち上がろうとした。
しかしここはベッドの下である。天井は限りなく低い。
「痛っ!」
案の定、あっちゃんは頭を打ち、反動で体をがくりと下げた。
その時、彼女の手が踏ん張る形で伸びた。
場所は、今一番触れてはいけない場所。
そう。
おれのズボンだ。
「あ……!」
あっちゃんは感触に気付いて、おれを見た。
「……キミ」
「いや、待って。……はは、ちゃうんよね、これ」
やばい。マジでやばいぞ。
おれは首を何度も横に振った。
「あ……いや……その……」
「これ……ちんちん?」
確信的な言葉。
凶器に似た言葉はグサリとおれの心に刺さった。
「え……あ……ごめん……」
「ちんちん?」
「うん。ごめん」
「なにが?」
「いや、その……大きくなったから」
「えっ? 子供でも大きくなるん?」
どうやらあっちゃんは大人しか勃起しないと思っていたらしい。
「そうなんやぁ」
まるで理科の実験でも見るようにあっちゃんはおれを見ている。
ここでおれは今へつながる片鱗を見せつけた。
「あっちゃん……見てみたいんか?」
「えっ?」
「だから、見てみたいんかって話」
「あ……っと……」
曖昧な表情。
しかしここで根負けしてはいけない。
虚勢ですべてを包んでしまうしかない。
この包茎チンコのように。
「ええよ。別に」
「で、でも……イヤな気分にならん?」
「ならんよ」
おれは後頭部を床につけた。
目の前にはベッドの裏側がある。
「ただな、あっちゃん」
「……なにぃ?」
「お願いがあんねん」
「うん」
控え目な返事。それは何かを悟っている返事でもあった。
「あっちゃんも見せてぇな」
「……なにを?」
おれはごくりと唾を飲んだ。
それまで生きて来た中で最大限の勇気を口に含んだ。
「そら、アソコに決まっとるやん。おれだけはずるい」
「でも、臭いかも知れへんし……」
女の子らしい発言に吹き出しそうになった。
グッと堪えて、おれはベッドの裏を見ながら話を続ける。
「それはおれも一緒や。昨日、お風呂入ったやろ?」
「うん」
「どうする?」
「……ええけど」
誘ってきた割に勇気のないあっちゃん。
後に聞いた話だが、ブスの差し金だったらしい。
その時流行っていた中学生向けエロ漫画のやり方だったとか。
それを知ったのは、大人になってからだ。
あっちゃんはベッド下から出た。
おれもゆっくり追いかける。
ベッドの縁に座り、ジッと見つめ合った。
あっちゃんがほほえみながら口を開く。
「なあ、うちに来ない?」
「ええけど、誰かおる?」
「おじいちゃんだけな。でも大丈夫。いつも離れにおるから」
おれはうなずいた。
すると、あっちゃんは抱きついてきた。
そしてすぐハッとなって離れた。
「あっちゃん、最悪やわぁ。濡れてんの忘れてたっしょ?」
「ご、ごめん! だいぶ乾いたと思ったんだけどなあ」
心無しか弾む彼女の声を耳に、おれはベッドを降りた。
行先はあっちゃんの家。
することはもちろん……
参の回に続く。
執筆:maco
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