2ntブログ

「フンドシ祝い」とは「筆下し」の意味だった

      
赤松の育った播磨の農村では、男の子が13歳になるとオバかそれに近い女性からフンドシを贈られ、それを「フンドシ祝い」と呼んだそうです。
      
それまではパッチを履いていたのが、フンドシを締めるようになると一人前ということになり、フンドシを贈ってくれた女性を相手にその晩、性交する習慣があったといいます。
      
ただし、可愛い男の子は「フンドシ祝い」をする前に村の女たちに誘われて「筆下し」を済ませてしまうことも多く、赤松も10歳のときに近所のオバハンに誘われて初体験を済ませたそうです。
      
実際に射精したのは11歳になってからだといいますから、精通が始まる前に女性とセックスしていたことになります。
      
中には13歳になってもまだ筆下しの相手が見つからない男の子もいて、心配した母親が知り合いの女性に息子の筆下しを頼むこともあったそうです。
      
女の子の場合は、やはり13歳でコシマキを贈られる「コシマキ祝い」という習慣があり、コシマキを身に着けるようになると一人前ということになって、親が知り合いの信用できる男に頼んで、娘を「女」にしてもらったそうです。
      
親に頼まれた男は、女の子に苦痛を与えないように、2、3日かけてゆっくりと処女を破ったといいます。
      
これでわかるように、戦前の農村では処女性はまったく価値がなかったそうです。
      

関連記事


童貞・処女 | 【2023-04-14(Fri) 16:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
コメント
コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


Copyright © エッチな萌える体験談 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:*cuteblog*